芭蕉堂店主ブログ 雖小居日録

落語「桂 歌丸」

2011年 6月 17日 金曜日
BLOGカテゴリー: 落語

落語 桂 歌丸 「井戸の茶碗」                                            2011年5月28日(土)1時半 神奈川県民ホール                        他出演 柳亭小痴楽「芋俵」林家たい平「お化け長屋」     

 まず驚いたのは会場の大きさと客の多さであった、神奈川県民ホール2500席入る、前夜来の雨模様にも拘わらず、90%以上のほぼ満席状態、歌丸が地元真金町出身の生粋の「浜っ子」で地元への思い入れも大きく、ファンが多いとはいえ、落語でこの人数を集めたのには驚いた。過去に「小朝」が武道館を満席にして1万人集めたことがあったが、当時の小朝は時代の寵児であり、メデイアに引っ張りだこであったし、落語家というよりタレントであり、客の方も落語の生を見たことのない、聞いたこともないギャルが大挙して押しかけたわけで、出し物も景山民夫演出の芝居も上演されていた。今回は違う、冒頭に「たい平」相手に対談が30分程あったが他は3人による落語だけの上演であった。客も8割方年金受領者格好で落語を聞きにきている人達ばかりであった。寄席や独演会などで育った者にとっては隔世の感がした。たい平の「お化け長屋」テンポよく面白かった、二人目の入居希望者のやりとりも一人目同様はしょらずに応対していたのに新鮮味あった、おまけの「花火」も初めて見たが、人気の理由がわかった。歌丸の「井戸の茶碗」ファンからのリクエストらしいがまくらが面白かった、大震災を話題にするのは難しい所だが初っ端に「私も被災者の一人で」と入ることで客をぐっと引きつける「石巻にいたのか?」「親戚が死んだのか?」と観客の脳裏をかすめるイメージを壊すことなく、自分が受けた経験を披露する、「調度、歯医者で入れ歯を入れていたんですよ」ここでぐっと沸く。本題は卒のない進め方で、浪人千代田卜斎と細川家藩士高木佐久左衛門、との中を持つ「くずや」清兵衛の仲立ちのやりとりが面白く続くが、何しろ大きい、2階席では話に集中出来ない、盛り上がりの少ない話であり、引き付けるクライマックスがない、「井戸茶碗」を見て、殿のご用達の骨董屋の眼がキラリと光る部分がてっぺんであろうか?善人ばかり登場し清々しくさせる話であり、嫌味もなく快いのであるが、200人位の場で聞けたらと感じた。落語の明治以降発達した重要な部分として「教育」がある、学校に行けない子供たちに、その後生きるための道徳のような箇所が必ず入っていた、悪いことをすれば自身にとって良くないことが、善事をすれば将来それが報われる、この話も「争いごと」は非経済的でそれぞれが欲にまみれることがないと皆幸せになれるとしている。素読を瘡毒、売卜を梅毒と間違えさせて、当時の遊びへの警告も含ませている。ところが最近の落語を聞いて感じることだが、その部分が全く抜け落ちてしまって、弱者を笑ったり、対応の鈍さ面白がったり、古典でもその部分をカットしていたりする、笑い方が変わってしまった、そんな笑いだけが突走ってしまったら、この「ブーム」も長続きしないだろう。


 

 

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