映画「無言館」
2011年 6月 27日 月曜日
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映画「無言館 戦没画学生慰霊美術館」2011年日本 86分 ドキュメンタリー 監督・脚本 宮本辰夫 出演 窪島誠一郎 天満敦子 菅原文太 主題歌 佐藤真子 朗読 岩崎加根子 ナレーション 若井なおみ
長野県上田塩田平の南、独鈷山麓の名刹前山寺の東の一角に「無言館」が平成9年(1997)夭逝画家村山槐多を中心とした「信濃デッサン館」の分館として開館した。 館長窪島氏自身出征の経験を持ち、画家でやはり出征し多くの仲間を失った野見山曉治氏と多くの画学生が志半ばで戦地に追いやられ戦死していった事実を知り、戦没画学生の遺品を集める、芋吊り式に多くの作品が集まり現在の収集となった。
映画は東京芸術大学学園祭のシーンから始まる、若者が山車を担いで練り歩き大声で気合いをかける、画学生の芸術的センスを感じさせるその法被であり山車である。そして「無言館」の説明が始まる。以前私は長野への旅行に際し、入館したことがある、その主旨を殆ど知らずに鑑賞したのだが、最初の印象が親近感であった、それぞれの持つ絵の力強さが伝わってきて思わず絵に引き込まれてしまった。絵に関して全く門外漢の者であるが、稚拙な中にも力強さ、決して大きなことを求めないひた向きさ、しかし、絵に関する基礎的なテクニックはしっかり感ぜられる、印象であった。昨近の「日展」入選作品でもそのキャンバスの大きさには圧倒されるが、何も伝わって来ないことが多い、登竜門とはいえ目的意識の低さや、絵に対する迷いも感じられ現代絵画の難しさもそこに見えるのだが、時間がない、明日がない、切羽詰まった状況で人生の伴侶、それは恋人でもあり、母でもあり、家族でもあるが、絵に対しても同様であり、凝縮された熱情が絵具の塊の中に見えてくる様は鑑賞する者を圧倒する。そこには画業半ばの秀作も多く、完成度から言えば達していない作品もあるがその気持ちは伝わってくる。
その後に続く映像で窪島館長の真骨頂が描き出される、戦没画学生の鎮魂には終わらず、現代にそれをどう取り込むかの活動を追っている、多くの若者にこれらの絵を通して平和の希求、人間の素晴らしさなど知ってもらうため様々な空間への展示を積極的に進め、それは広島の旧銀行の地下金庫室であったり、京都立命館の展示室の一角であったりする。年老いても画業だけを続ける画家はその平均寿命の高さから多いが、絵を通じて自分自身の生き様を伝える芸術家は少ない。一方では小学生、中学生に美術館に来てもらい、形骸化しがちの戦争体験を孫世代程違う若者にまで熱心に説明し、当時の模様を語り、若者の感じ方を興味深く見つめている。「忘れない」ための取り組みとしての毎年8月の「千本の絵筆供養」のユニークさも太変なアイデアであり非凡さを感じさせる。この美術館に多くの若者が訪れることで、絵の持つ普遍性や平和の大切さを未来永劫伝えていただきたい。
一方当然居たであろう音大生の戦没者の場合どのような取り組みが可能なのだろうか、空気に溶け込んでしまう音をどのように歴史の中に存在させたらよいのだろうか?