食べること「スローフード」(1)
2011年 8月 8日 月曜日
BLOGカテゴリー: 食べること
食べ物「スローフード」(1) 「スローフード」の語源は当然「ファーストフード」への対抗として出てきた言葉であり、発祥は80年代半ばイタリア、ローマのスペイン広場に「マック」が開業したことで、危機感が生まれ、ピエモンテ州「ブラ」の町で「スローフード」運動が始まったとされている。96年には「守る」「教える」「支える」として伝統的な食材・酒などを守り、子供たち等に味の教育を進め、小さな食物生産者を支えることを提唱している。そして現在世界各地でそれぞれの主張を持ちながら活動が続けられている。一方「ファースト」の意味は当然早く食べることを前提としてはいるが、大部分がオーダー後いかに早くその料理を「差し出す」ことが出来るかの「早く」のことで、早く「食べる」ことより強いだろう。今回の話題は早く「差し出す」ことの逆ではなく、早く食べることが出来ない食品の勧めである。昨今の食品は子供にもお年寄りにも食べやすく懇切丁寧に作製されており、快適に食事をスムーズに取ることが出来る、栄養バランスも加味されており食品としては完ぺきの形をしている。それは学校給食にも介護施設の食事にも反映され、栄養を吸収するという食べることの最低限の要求は満たしている。しかしそれは養鶏場の餌、動物園の飼育同様、本来の生物の持っている本能からは離れており、食べる行為は生物にとって一番重要であり、人間にとっても最重要行為であり、人類発生以来1日の多くの時間をそのことに費やしてきた。しかしこの何万年かの間に人間の咀嚼能力はどの位退化してきたのであろうか、歯によって生肉を引き千切れる人は数少なくなっているだろう。何事も必要が能力を高めるわけで、逆に不必要となれば退化してゆくのが道理、この50年の食料に関する生産、供給、加工、調理の発展は人類生存を大いに助けたが、一方で、自然界の中で単独で生きて行く能力を衰退させてしまった。様々なレトルト、冷凍、インスタント食品が巷にあふれ、栄養的にはともかく飢える状況ではない、味や食感、作製時間、など至れり尽くせりで電子調理器、トースター点火時間など事細かに指定されそれなりの食事が簡単に出来る、また都合のよいことに全てが食べつくせる食材で出来ていて、パッケージ以外に不要物は生まれない。ここで問題なのは食べる事が出来る食物を廃棄することだが、以前にそのことには触れた。(映画「ありあまるごちそう」)一方この50年豊かさとスライドして食に関する追及は絶え間なく、街々のレストランは日に日に美味しくなりその発展は眼を見張るばかりの状況だし、その延長の家庭料理も各家庭において日々の研究を重ね、プロ顔負けのカレーを食す家庭も少なくない。そんな状況の中で如何にゆっくり、丁寧に食べるかの勧めである。(以下次号)