芭蕉堂店主ブログ 雖小居日録

映画「無言館」

2011年 6月 27日 月曜日
BLOGカテゴリー: 映画

映画「無言館 戦没画学生慰霊美術館」2011年日本 86分 ドキュメンタリー           監督・脚本 宮本辰夫 出演 窪島誠一郎 天満敦子 菅原文太               主題歌 佐藤真子 朗読 岩崎加根子 ナレーション 若井なおみ

長野県上田塩田平の南、独鈷山麓の名刹前山寺の東の一角に「無言館」が平成9年(1997)夭逝画家村山槐多を中心とした「信濃デッサン館」の分館として開館した。    館長窪島氏自身出征の経験を持ち、画家でやはり出征し多くの仲間を失った野見山曉治氏と多くの画学生が志半ばで戦地に追いやられ戦死していった事実を知り、戦没画学生の遺品を集める、芋吊り式に多くの作品が集まり現在の収集となった。

映画は東京芸術大学学園祭のシーンから始まる、若者が山車を担いで練り歩き大声で気合いをかける、画学生の芸術的センスを感じさせるその法被であり山車である。そして「無言館」の説明が始まる。以前私は長野への旅行に際し、入館したことがある、その主旨を殆ど知らずに鑑賞したのだが、最初の印象が親近感であった、それぞれの持つ絵の力強さが伝わってきて思わず絵に引き込まれてしまった。絵に関して全く門外漢の者であるが、稚拙な中にも力強さ、決して大きなことを求めないひた向きさ、しかし、絵に関する基礎的なテクニックはしっかり感ぜられる、印象であった。昨近の「日展」入選作品でもそのキャンバスの大きさには圧倒されるが、何も伝わって来ないことが多い、登竜門とはいえ目的意識の低さや、絵に対する迷いも感じられ現代絵画の難しさもそこに見えるのだが、時間がない、明日がない、切羽詰まった状況で人生の伴侶、それは恋人でもあり、母でもあり、家族でもあるが、絵に対しても同様であり、凝縮された熱情が絵具の塊の中に見えてくる様は鑑賞する者を圧倒する。そこには画業半ばの秀作も多く、完成度から言えば達していない作品もあるがその気持ちは伝わってくる。

その後に続く映像で窪島館長の真骨頂が描き出される、戦没画学生の鎮魂には終わらず、現代にそれをどう取り込むかの活動を追っている、多くの若者にこれらの絵を通して平和の希求、人間の素晴らしさなど知ってもらうため様々な空間への展示を積極的に進め、それは広島の旧銀行の地下金庫室であったり、京都立命館の展示室の一角であったりする。年老いても画業だけを続ける画家はその平均寿命の高さから多いが、絵を通じて自分自身の生き様を伝える芸術家は少ない。一方では小学生、中学生に美術館に来てもらい、形骸化しがちの戦争体験を孫世代程違う若者にまで熱心に説明し、当時の模様を語り、若者の感じ方を興味深く見つめている。「忘れない」ための取り組みとしての毎年8月の「千本の絵筆供養」のユニークさも太変なアイデアであり非凡さを感じさせる。この美術館に多くの若者が訪れることで、絵の持つ普遍性や平和の大切さを未来永劫伝えていただきたい。

一方当然居たであろう音大生の戦没者の場合どのような取り組みが可能なのだろうか、空気に溶け込んでしまう音をどのように歴史の中に存在させたらよいのだろうか?

コメントは受け付けていません。

落語「桂 歌丸」

2011年 6月 17日 金曜日
BLOGカテゴリー: 落語

落語 桂 歌丸 「井戸の茶碗」                                            2011年5月28日(土)1時半 神奈川県民ホール                        他出演 柳亭小痴楽「芋俵」林家たい平「お化け長屋」     

 まず驚いたのは会場の大きさと客の多さであった、神奈川県民ホール2500席入る、前夜来の雨模様にも拘わらず、90%以上のほぼ満席状態、歌丸が地元真金町出身の生粋の「浜っ子」で地元への思い入れも大きく、ファンが多いとはいえ、落語でこの人数を集めたのには驚いた。過去に「小朝」が武道館を満席にして1万人集めたことがあったが、当時の小朝は時代の寵児であり、メデイアに引っ張りだこであったし、落語家というよりタレントであり、客の方も落語の生を見たことのない、聞いたこともないギャルが大挙して押しかけたわけで、出し物も景山民夫演出の芝居も上演されていた。今回は違う、冒頭に「たい平」相手に対談が30分程あったが他は3人による落語だけの上演であった。客も8割方年金受領者格好で落語を聞きにきている人達ばかりであった。寄席や独演会などで育った者にとっては隔世の感がした。たい平の「お化け長屋」テンポよく面白かった、二人目の入居希望者のやりとりも一人目同様はしょらずに応対していたのに新鮮味あった、おまけの「花火」も初めて見たが、人気の理由がわかった。歌丸の「井戸の茶碗」ファンからのリクエストらしいがまくらが面白かった、大震災を話題にするのは難しい所だが初っ端に「私も被災者の一人で」と入ることで客をぐっと引きつける「石巻にいたのか?」「親戚が死んだのか?」と観客の脳裏をかすめるイメージを壊すことなく、自分が受けた経験を披露する、「調度、歯医者で入れ歯を入れていたんですよ」ここでぐっと沸く。本題は卒のない進め方で、浪人千代田卜斎と細川家藩士高木佐久左衛門、との中を持つ「くずや」清兵衛の仲立ちのやりとりが面白く続くが、何しろ大きい、2階席では話に集中出来ない、盛り上がりの少ない話であり、引き付けるクライマックスがない、「井戸茶碗」を見て、殿のご用達の骨董屋の眼がキラリと光る部分がてっぺんであろうか?善人ばかり登場し清々しくさせる話であり、嫌味もなく快いのであるが、200人位の場で聞けたらと感じた。落語の明治以降発達した重要な部分として「教育」がある、学校に行けない子供たちに、その後生きるための道徳のような箇所が必ず入っていた、悪いことをすれば自身にとって良くないことが、善事をすれば将来それが報われる、この話も「争いごと」は非経済的でそれぞれが欲にまみれることがないと皆幸せになれるとしている。素読を瘡毒、売卜を梅毒と間違えさせて、当時の遊びへの警告も含ませている。ところが最近の落語を聞いて感じることだが、その部分が全く抜け落ちてしまって、弱者を笑ったり、対応の鈍さ面白がったり、古典でもその部分をカットしていたりする、笑い方が変わってしまった、そんな笑いだけが突走ってしまったら、この「ブーム」も長続きしないだろう。

コメントは受け付けていません。

映画「ドリ-ム・ホーム」

2011年 5月 27日 金曜日
BLOGカテゴリー: 映画

映画「ドリーム・ホーム」維多利亜壹號 Dream Home 2010年 香港 96分       監督 パン・ホーチョン 出演 ジョシー・ホー、イーソン・チャン、デレク・ツァン、          

 見てはいけない、血に縁のない男は、特に中年以降の男性には勧められない。私も何の予備知識もなく、題名の「ドリーム・ホーム」とパン・ホーチョン監督最新作と聞いただけで何の躊躇もなく飛び込んで何度眼を瞑ったか、そして途中退室を思ったか、空腹状態だったのだが終了後何も要らない状態に。「スプラッター」映画というジャンルがあるのも初めて知った、「血しぶき」(splash)から来たらしいがやたら血が飛び散り、肉体が破壊される、といって戦争映画の戦闘シーンは違うらしい、個対個が徹底して血生臭く殺し合い阿鼻叫喚の世界へ誘い込むことらしい。映画にはその境界は曖昧だがジャンルが色分けされてきた、古くは「エロ、グロ、ナンセンス」それに昨近のホラーブームが加わり、古い表現ではラブロマンス等、多種多彩に色分けされて宣伝され鑑賞の参考としたが、現在宣伝にそれと謳っているのは「ホラー映画」位だろうか?映画の内容には触れない、只一つシーンを紹介する、香港の不動産高騰の時期、「地上げ」が横行した、立ち退かない居住者への嫌がらせである、鉄格子状のシャッターには頑丈な鍵が掛けられており留守なのだろう、ヤクザはやおら麻袋の中から毒蛇を数匹その隙間から部屋の中に放つ、このシーンはこれで終わるのだが、子供が学校から帰ってきたら、奥さんが買い物から戻ったらと想像するだけで背筋がぞっとするのである。パン監督これまで様々映像を提供してきた、しかし日本では映画祭のみの公開でそのチケットも完売が多い、今回初めての公開である。「ユーシュートアイシュート」(01)ではハチャメチャな映像を披露し「AV」(05)では日本のAV業界の完成度?を賞賛しているし「イザベラ」(06)ではマカオ返還時の警察官の哀歓を伝えている「出エジプト記」(07)は怪しげな組織の話である「些細なこと」(07)では何でもないことを克明な映像にまとめている「恋の紫煙」(10)は愛煙家の悲哀をラブストーリーに仕上げている。全く分野の違った様々な視点から作製する映像は期待感も膨らみ裏切られたことがなく、毎回十分楽しみ次作へ繋がってゆく。今回の作品は、一方で映画監督の職人魂の凄さを感じる映像でもある、園子温の「冷たい熱帯魚」も凄まじいシーンが登場するが、それらの他の監督の作製する同じような映像に挑戦するかのように「どうだ!まいったか!」とこの作品をぶつけ、完成度の高い映像を示し、ここまでやるかという、プロを唸らせる、同業者が脱帽する作品となっているのではないか。個人的には次回作はこの手法で「アダルト作品」を手掛けてもらいたい。でも見てはいけない。やさしい否定は対象を忘却へ誘う、強い否定は対象の存在を倍加させる、決して営業妨害ではないと思うのだが。でも見ないに越したことはない。

コメントは受け付けていません。

映画「現在それは過去の未来」

2011年 5月 25日 水曜日
BLOGカテゴリー: 映画

「現在それは過去の未来」現在是過去的未来Disorder 2009年中国58分

監督 黄偉凱監督 ドキュメンタリー

中国広州市内で起きた様ざま出来事を、それぞれに居合わせたビデオ所有者が撮った映像をまとめ、編集した作品である。従って日常ではない出来ごとばかり写っているわけでこれを通して中国の現実を理解したとするのは大変危険で当然中国国内では公開されていないし、ニュースのひとつとして見る必要がある。只映像は現象を適確に捉えており、中国の持つ現状の大変さを理解出来る。それぞれ現象を細切れにして交互に出てくる様編集しており不確かな部分もあるが、取り上げられたシーン箇条書きにしてみます。

①     珠江が氾濫したのか町は水浸し、汚物はプカプカ浮いているし、警官も革靴手にして裸足で警備、成す術がない。

②     道路ロータリー脇の消火栓に車がぶつかったのか、勢いよく水が噴き上げ、道路も冠水しているが、担当者不在か、処置ができないのか、延々と噴き上げ続けているのを市民が見守る。

③     警官の対応に不満で欄干に自分を針金で縛りつけ、聞かないと飛び込むぞと喚き散らす。

④     河川の清潔さをアピールするために、行政担当者が河に入ってデモンストレーションを行う、泳げない人がいるのか、ラグビーボール状の浮輪が面白い。

⑤     ヘドロが集積している運河のドブの中で投網を打っている男、驚くことに沢山のヘドロの中に生きた魚が居る、魚市場に出すのでは?

⑥     ビル工事現場で遺跡が発見されたとの情報で係官が調査にゆくが頑として入場を拒む。

⑦     中央に高い分離柵のある道路を沢山の車の行き交う中平気で多くの地元民が横断しようとする、警官がいくら注意しても聞かない。

⑧     精神異常者か車の間を平気で歩き回る、危険この上ない。

⑨     人身事故現場直後の道路、色々散乱している中を人々は平気で横断する。

⑩     密集地帯での火事現場、消化活動終了後、鎮火してなくて火がまた付き混乱する。

⑪     ドブの中に何かいるかとよく見ると大きなワニ。

⑫     ゴミ置場のような一体何か動くものが、まさかと思うと生後3カ月位の赤ん坊、居合わせた女性がミルクを与えるが飲まず、諦めて行ってしまう、その後どうなったのか?

⑬     盗難車一斉摘発の現場、居合わせた者を一網打尽で、逆らう者への警官の暴行が凄まじい

⑭     スーパーの倒産で経営者逃走してしまい、押収物の中に、熊の手やフカヒレなど高級食材多数あり無造作に道路に並べてある。

⑮     交通事故で運転手が病院に運ばれるが、病室で金がないから帰ると点滴を抜いてしまう

⑯     高速道路で荷台の生きた豚が多数逃走回収が大変な作業に。

⑰     自動車事故の被害者が道路に横たわったまま動こうとしない示談したい運転手は困ってしまうが、そのうち誰かが「こいつは交通事故詐欺の常習者だ」と言い出す。

⑱     街中で何の犯罪で逮捕されたのか、その者への警官の執拗な暴力シーン。

コメントは受け付けていません。

映画「リリア-4- ever」

2011年 5月 9日 月曜日
BLOGカテゴリー: 映画

映画「リリア4-ever」02スウェーデン 105分 ロシア語(英語、スウェーデン語)
監督 ルーカス・ムーデイソン
出演 オクサナ・アキンシア、アルチオン・ボグチャノスキー、エリーナ・ベニンソン

日本では未公開であり、北欧映画祭にて上映された。DVD化もされておらず、運が良ければ、YU –TUBUで英語字幕で鑑賞出来るかもしれない。監督ムーデイソンは過去作品「ショー・ミー・ラブ」「エヴァとステファンと素敵な家族」で脚光を浴び今回の作品となった。スウエーデン映画といえばベルイマンが有名でその記憶しかないが、監督は孫世代にあたり月日の速さに驚かされる。
 ケン・ローチは「Sweet Sixteen」(英02)でイギリスの疲弊した街で十代の若者の行き場のない叫びを悪の世界に身を置くことで解消しようとし、結果は自分を「捨てる」ことであった。しかしそこには悪に引き込む頼れるアニキもいたし、仲間もいた。チャン・ツオーチは 「美麗時光」台湾01では主人公の危うい青春時代が黒社会に繋がり泥沼にのめり込んでゆく、そこには否定的だが家族も友人も居た。最近の韓国映画「息もできない」では家族からも仲間からも離れ行き場のなくなった若い男女が束の間ではあるが同じ時を共有出来た。
 「リリア」はその全てから見放された少女の話である。舞台はロシアの大きな国営工場が閉鎖になった一地方の町である。体制の崩壊により街の一角は世界から見放されたような現状で明日の食糧にも事欠く中、大人も子供も必死に今日を生きている。冒頭まず母親に捨てられる、父親は生まれたときには既に出奔しており顔も知らない、母親と愛人は米国行きを計画し娘も一緒の話にウキウキしていたがその場になって二人だけで行ってしまう。頼りな筈の叔母は劣悪な自分の住居と無理矢理交換させ、廃墟のような部屋に住むことになる、学校は双方が歩み寄る空間とは既になっていなく、親友達にも裏切られ、誤解から段々離れていってしまい逆に迫害に遭う。そんな中唯一の心の拠り所が近くの同じような環境の年下の男の子のヴォロージャ、彼の淡い恋心とは無縁に母心のような接し方で弟のように庇い、養い、寂しさを解消している。そして当然の帰結のように体を売ることで生活を支えるようになり、そこに親切な男が現れる、言葉巧みに西欧社会の素晴らしさを伝える、そしてリリアは眼を輝かせて未来の夢を思い描く、一貫してリリアはどんな境遇に成っても上昇志向を持ち続け生きて行き、挫けることを知らない、それは最後の最後まで変わらない、ヴォロ-ジャと幸せな空間を共有出来るのだがあまりに悲しい、天空空高く「とんび」だろうか、二人を旋回しながら見下ろしている。そして二人がいつも過ごした木製ベンチには「Lilja-4- ever」と刻まれていた。全編「t.A.T.u.」やラムシュタインの曲が流れ力強い映像を作っている。

   

コメントは受け付けていません。

映画「ありあまるごちそう」

2011年 4月 27日 水曜日
BLOGカテゴリー: 映画

映画「ありあまるごちそう」We Feed The World 05オーストリア 96分
   エルヴィン・ヴァーゲン・オファー監督・脚本・撮影
丸い形や長細いのや茶色や黒や、様々な種類のパンがベルトコンベアーで運ばれてくる、半端な量ではなく、やがてパンは積み上げられた一角に落とされる、シャベルカーがそれをダンプに積み込む。多くの日本人観光客が訪れるウイーンでの光景であり、テロップが流れ「この首都では毎年2千トンのパンが捨てられる、それはオーストリア第2の都市グラーツの年間消費量に匹敵する」「この地球上で毎日飢えた子どもたちが10万人死んでゆき、8億人が飢えに瀕し、地球全体の食糧生産量は120億人を養うことが出来る」スト-ブに「コーン」がくべられ赤々と燃え、食物燃料がエネルギーとして重要な立場となったことを象徴し、タイトルが現れる。6年前の製作であるが現状は地球の将来にとって好転しているとは思えず、この映像に出てくる現象は様々な場面で一層顕著となっており、「余る」状況は質的にはともかく量的には増えており、一方で「飢える」その政治状況は益々泥沼状態に陥っている。全編食物に関するショッキンングな映像が続く、スペインのどこだろうか、空撮のビニールハウスが続く、延々と丘陵地に白い畑が続きその内部にカメラが移動し、トマト栽培とわかる、ヨ-ロッパ向けで大規模生産により従来のアフリカ産より低価格にしたことで西アフリカのトマトは瀕死の状態となり、従業員はスペインへの出稼ぎとなった。大型トラックがEU各地へ新鮮なトマトを運んでゆく。話題は大豆へ、ブラジルの奥地へ向かう、森林を開墾し大豆が栽培される、森林伐採はCO2増加原因として大変問題となっており、「豆腐」大好き国として心痛むが、その殆どは、欧米へ家畜飼料として輸出されている。オーストリアの養鶏工場へと場面は移る。「チキン」が食卓に上るまでの工程の映像である。孵化可能な有精卵を産む親鳥を大量に提供出来る工場は世界に少なく、オス1羽メス10羽の割合で卵を孵化しその「ひよこ」が養鶏業者に売られ、飼育される、その飼料がブラジル産の大豆である、卵専用のブロイラーがカプセルホテルなら「大広間」の雑魚寝だろうか、薄暗い中動きの自由はあるが餌と水の往復である、生育すると掃除機で吸引されるようにラインに乗せられ一気に「製品」となってゆく、足を固定され、宙ずりのまま電気ショック、頸部を切断され血抜き、強力吸引装置で羽がむしられ丸裸に、優秀な最先端解体装置が細部まで入り込み、内蔵削除、部位毎の切断となり、部位は纏められ心臓は日本のヤキトリか、足は香港の屋台なのだろうか。普通の製造工場では工程を経るに従い製品の状態が明らかになるが、全く逆で見慣れた鶏が見る見る変貌して、クリスマスのローストチキンとなってパックされる。オーストリアが食糧生産経営の中心主要国であるらしく、世界一の食品会社「ネスレ」のCEOはオーストリア人である。そのインタビューで「従業員27万5千人その関連会社や家族を含めると450万人の生活がかかっており、あらゆる食料を日々増産してゆかなければならない」映像には出てこないが、人ごとではない、チラシには日本の食糧廃棄量、業社と家庭合わせて年間2200万トン(2005年)途上国の1億人分の年間食糧である。

コメントは受け付けていません。

食べること「牛玉ステーキ丼」

2011年 4月 15日 金曜日
BLOGカテゴリー: 食べること


食べること
「牛玉ステーキ丼」
「B級グルメ」ブームという、「B級」の先鞭をつけたのは1985「東京グルメ通信B級グルメの逆襲」(主婦と生活社)の刊行であったらしい。(ワイキペデイアより)私が最初に目にしたのは文春文庫ビジュアル版の「東京B級グルメスーパーガイド」1986を読んでからだろうか、好評だったらしく、その後そのシリーズは勝手に間口を広げ、韓国、台湾まで飛び16,7冊の発行となっている。当時仏料理はどこそこがうまい(荻昌弘)、普茶料理はあそこ(梶井基次郎)という具合に、縁のない人間の多い店紹介が主流だった。そこで登場したのが「五大丼(天、うな、カツ、親子、牛、)三大ライス(オム、カレー、ハヤシ)」の紹介でカツ丼はどこがうまい、カレーは、○×と店によって普段食べている味に違いがあることに気付きだした。何も地方の隠れた一品を探し出したのではなく、周囲の食べ物に興味を持ちだしたのである、一流とは言えず二流よりB級の方がダメージ少ないだろう位の発想と思う。それが今やどう変転したのか地方都市活性化の花形、観光客誘致の先兵として登場し全国大会も開催されグランプリは大々的に報道され当地では旅館の料理に加えられるという、その扱いはとても「B級」とは言えない発展ぶりである。長い間地元の人達が気安く愛していた食べ物が、突然全国展開になっても碌なことはなく、近所のラーメン屋に人が並び出したように、地元からは遠ざかり、便乗した多くがその神輿に乗ることでの質の低下は避けられない。その食べ物にとって、束の間の栄光を浴びるだろうが少数精鋭だから得る光の輝き、創作製品とは違う跋扈品が認知される事態ともなれば、悲劇であろう。
 ここで紹介の「牛玉ステーキ丼」は決してB級グルメではない、北海道十勝平野清水町で、昨年7月より提供している地産地消食べ物である。清水町はじゃがいもを中心とした農業も発展しているが人口1万人の中に牛は4万頭(肉牛道内2位)、鶏40万羽(道内3位)飼育している牧畜生産地であり、その特産を惜しみなく使った丼である。定義は地元の十勝若牛と鶏卵を使用し味噌味とし、従来の十勝名物の「豚丼」醤油味と競う方法を取っている。「ルール」が色々細かく規定され、ロース部分、サイコロ状、ふわふわ卵、道産米、そして器の形状まで提示している。料金は千円以内(よってどこも980-)である。現在9店舗で提供中だが、その中にはゴルフ場の食堂メニューにもありプレーとは無縁の方々も食べに来る。蕎麦専門店のサイドメニューにも入り(写真参照)蕎麦のサービスが加わったり、前記の条件の中でそれぞれの特徴を出してアピールしている。目立った観光地もなく中々訪れる機会は少ないが是非とも寄っていただきたい。ゆめゆめ、選手権など応募せず、首都圏某デパートに登場などないことを祈る。あくまでも地産地消で。

http://tokachi432.com/

コメントは受け付けていません。

映画「祝(ほうり)の島」「ミツバチの羽音と地球の回転」

2011年 4月 4日 月曜日
BLOGカテゴリー: 映画

映画「祝(ほうり)の島」10年日本 105分 纐纈あや監督
   「ミツバチの羽音と地球の回転」10年 135分 鎌仲ひとみ監督
東日本大震災に被災された皆様心よりお見舞い申し上げます。またお亡くなりになられた方々の御冥福お祈りいたします。一日も早い復旧と平穏の回復お祈り申し上げます。
両作品とも山口県瀬戸内海に浮かぶ「祝島」を舞台にしたドキュメンタリーである、この内海の海上交通の発展によってもたらされた経済上、文化上の日本の歴史に果たした役割は大きく、点在する島々の有形無形の遺産は貴重な形で受け継がれている。祝島はその内海の周防灘からの入口に浮かび、千年も前から急峻な山を開拓し続け、恵まれた漁業とともに、島の発展を支え今日の姿となった。山には手間暇かけた琵琶がなり、その不揃い品を食べて育った豚が元気よく飛びまわり、狭い田んぼでは無農薬天日干しの米が作られる、磯に出れば何百年続いた「ひじき」漁が資源を絶やさない伝統を守りながら続けられ、沖に出れば一本釣りで高級魚の鯛が釣れる。都会から見れば理想郷のようなこの島でも若者は都市へ憧れ離島してゆく、しかし4年に一度、島出身者のアイデンテイテイを確認するかのように、各地に散らばった多くの島民が「神舞」(かんまい)の祭には戻って来る、豊漁、豊作を祈り親類縁者の集いは島全体を活気に充ち溢れさせ、往時の栄華を感じさせる。カメラはこの祭りを中心にして、島に残った若者と老人たちの日常を追い続ける。
 その祝島に「原発建設」の声が立ち上がったのが1982年の29年前、島の眼前にある上関町田ノ浦がその候補地、前面の海は島にとっては主要な漁業地である。以来人口500人の町が建設反対賛成の攻防を続けてきた。当然、対岸の田ノ浦も同町であることや、安定雇用、補償金、島生活の不便さなどから賛成派も多く、他の7漁協は賛成し、唯一この島の漁協が反対し補償金を返金している。町議会で建設賛成案が可決されても反対運動は行われ、島では28年間毎週、反対派がデモ行進を続けている、それは示威行動というより早朝ウォーキングに近い、オバちゃんたちがその鉢巻の物々しさとは裏腹にペチャペチャ喋りながら島内を歩く、それは皆に訴えるというより絆を確かめる、形骸化を防ぐ行動であり、28年間の結束を支えてきた。中国電力は議会の承認後工事に着手するがこれに対し漁民たちは実力で阻止行動を起こし、陸上ではおばチャンたちが座り込みを、海上では漁船を連ねて工事作業を一時は中断させるが、強行されてしまう。「皆さん第一次産業のみで生きてゆけますか?」「原発を作ることによって確実な雇用が生まれます」中国電力職員の海上での説得の言葉である。この攻防を追い続けた両作品だが、その対象とする人物や時間的ずれはあるが同じ視点で見ており、双方の映像にそれぞれが写ってしまうのではと心配させる程似た映像であった。「祝の島」は昨年「ミツバチ」は今年公開された。
 「ミツバチ」は以上の映像に加え原発の脅威を強く訴えている。電力事情取材のためスウェーデンを訪れ、「日本ではまだ原発建設の計画があるのか」と驚かれ、地域自立型のエネルギー供給事情を見学し、ほぼ独占状態の日本の電力事情を見直す必要を訴えている。 今回の震災発生直後山口県知事は中国電力に対し「上関原発」の見直しを要請した、29年に及ぶ反対運動には全く姿勢を崩さなかった当局の今回の即断である、結論は出ていないが気が付くには余りにも大きい代償である。「ミツバチ」は現時点で日本全国で公開の予定であったが、「都合により当分上映中止します」の貼り紙があり、上映されていない。

コメントは受け付けていません。

印章「中国オークション」

2011年 3月 4日 金曜日
BLOGカテゴリー: はんこ

はんこ「中国骨董オークション」
2月23日東京ドームホテルで「東京中央オークション」が開催された。今回2回目の開催となる、事前に豪華なカタログが配布されており、出品品目約750点をチェック出来る。前日の下見会は「天空の間」に所狭しとその出品の中国の書画、骨董が展示され、小さな品はガラスケースに収納され係員に要求すれば手にとって鑑定でき、掛け軸などの書画は全て真近に筆圧まで確認出来る。このオークション参加のために中国から約四百人が大挙来日し、ライトとルーペ片手に熱心に吟味し、会場は熱気にあふれた。

http://www.chuo-auction.co.jp/jp/

昨今、チャイナマネーの力は新聞紙上を賑わせているが、中国政府は不動産市場の投機に対し規制を掛け、その効果が徐々ではあるが効き始めている、だがその余剰資金は健在で、行き場のなくなった「元」は不安定な「元」を嫌って金をはじめ様々なモノに向かっている。日本のバブルではその資金は殆ど中国美術へは向かず、欧米の絵画を買い漁り顰蹙を買ったが、中国では西欧美術への関心の情報は不明だが、流れてくるのはワインブーム位で、もっぱら自国の美術品に向かっているようだ。しかし清末以降中華民国建国後百年近く、多くの文化遺産はその侵略、政変、戦乱、天災、内乱の中で雲散霧消していった。大国ゆえ分母の大きさは膨大で、残っているものも多いが、多くはこの数年間の骨董ブームで行き場所が確定しており、後は贋作の横行となってしまっている。台湾故宮博物館の所蔵に象徴されるように海外に散逸している美術品も限りなく、日本においても収奪したとは信じたくないが、日本人の中国文化に対する畏敬の念は現在の比ではなく、この百年あるいはそれ以前より多くの書画骨董が日本に流れてきた、しかし戦後の価値観は中国文化を対象としていず、戦災での消失を経ても、多くが埋もれているのが実情である。10年程前上海の骨董街の老舗を訪れると、店主から「日本にはまだ沢山残っているでしょう、買いますよ」との話、その時中国骨董に関しては、日本は売り手市場になったと実感した。現在大規模な形で実現し始めている。
オークション当日は大変な賑わいと熱気に包まれた。カタログには初値価格と予想落札範囲価格が表記されており、その初値からオークションが始まる、初値のまま買い手なくパス(出品者に戻される)されることもあるが殆どが予想を遥かに超える落札価格となる。会場は日本とは感じられず、ここは北京か、上海か、98%は中国人で占められており、担当者も日本語を一応使うが、中国語での呼びかけとなる、落札者は三桁の登録番号札を持っていて値を上げる毎に頭上にかざし、決して金持ちには見えないラフな姿の人達がどんどんセリ落としてゆく、中国内地からか電話での参加も盛んで、価格は想像を超える速度で上昇し、見学者か出品者である日本人は、只唖然、唖然でありどこにそんなお金があるのか驚くばかりである。例をあげれば、石涛(清初1630-1724画家)の「松渓幽居圖」の掛け軸が何と8960万円、会場がどよめき、拍手が起こった。王鐸(明末1592-1652書家)の書に3300百万円、「田黄」(写真参照、落札品とは別)と呼ばれる希少印材で大きさ100グラムから130グラムの品に2000万円から3300万円の値がついた。午前十時より始まったオークションは全く休憩なしに夜遅くまで続けられた。
夏頃に第3回目が予定されており規模も大きくなるという、しかし世界情勢や中国国内の動向に敏感に反応し波乱も予想され、参加者の規模とか落札価格は全く予想がつかないらしい。
「おじいさんがそう言えば、押し入れの奥に何だか古いものを大事にしていたな」是非もう一度チェックしてみて下さい。大変な「お宝」になるかもしれません。

コメントは受け付けていません。

映画「海炭市叙景」

2011年 2月 25日 金曜日
BLOGカテゴリー: 映画

映画「海炭市叙景」 2010 日本 152分
監督 熊切和嘉 音楽 ジム・オルーク 
出演 谷村美月 竹原ピストル 加瀬 亮 伊藤裕子 三浦誠己 小林 薫 
南 果歩 あがた森魚 大森立嗣 

監督前作「ノン子36歳」では「出戻り」のノン子が落ち込んでいる様子を今時の若い(若くない?)女性は強く、羽を伸ばすか、居直っているのが周辺の実情であり違和感あったし、秩父の椋(むく)神社を詳細に紹介する必要があったのか、今時「ひよこ」売りかと現実味に乏しかった。新作は海炭(函館)市内で五つの家族の直面している叙景をオムニバスで繋げている、最近の映画は女性が中心で父親不在、息子行方不明的作品が多く、イケメン映画は多いが題材として男が中心になる映画は少ない、この映画に登場する中心は珍しく男の子ばかりである、画面に華やかさは出ないし監督としては苦心したと思う。父親を事故で亡くした同じ造船ドッグで働く兄とその妹、不況は人員整理となり二人を追い詰めてゆく、両親の夫婦仲悪く狭い居場所のないアパートでその状況を真近で感じてしまう高校生、雪の中のラグビー練習が唯一の発散の場所か、夫による妻へのDVの行く先は小学生の息子であり、プラネタリウムだけが逃避場所、都会から故郷へ戻っても父親のもとへ帰れず、母の、妻の墓前でしか会えない父子、そして周囲は再開発の工事が進む中、ポツンと残った一軒家で、バアさんは甥っ子の市職員の説得も聞かず一人猫との生活を選ぶ。本来の町の形が崩壊する中、それぞれの男の子の追い詰められた様子とそれに伴う家庭の崩壊に心穏やかでは居られない、発散の行き場のないマグマはどんどんエネルギーを蓄積してゆき、様々な社会現象に繋がってゆくのだろうか?それぞれ家族が、大晦日「谷地頭」行きの市電に同乗しているが、どこを目指そうとしているのか、その市電を見送りながら兄妹は最後の小銭を使って函館山に初日の出を拝みに行くのだが。
函館や釧路をはじめ地方都市を訪れる度により静かになる印象を受ける、戦前の写真に映し出されている繁華街の混雑ぶりは現在と較べるべくもなく、前回おいしく食べた居酒屋が更地になっているのはとても寂しい。少子高齢化、都市への集中化により、数十年後はかなりの人口減少にも関わらず、関東圏市街部では現状維持、東京は微増の人口が予想されている、それでは地方はどうなってしまうのだろうか?

コメントは受け付けていません。

↑ページのトップへ