芭蕉堂店主ブログ 雖小居日録

映画「占い師」

2012年 6月 21日 木曜日
BLOGカテゴリー: 映画

映画「占い師」算命 Fortune Teller 2019 中国 129分

監督 徐童 ドキュメンタリー

出演 厲百程 石真珠 唐小雁

 前作の「収穫」で徐監督は、地方の農家の娘が、父の肝臓病の入院費を稼ぐために近隣の都会の散髪屋に出稼ぎに出るが、実は風俗業であり、その様子をカメラは真正面から捉え、克明に描写した。上映後のQ&Aで「彼女たちの顔が鮮明に撮られていて問題ないのか?」の質問に「中国で公開されることはなく、また中国は広いので彼女たちの知り合いがこの映画を見ることは殆どあり得ない」との答えに驚いたのを覚えている。

 同監督第2作品である。足に不自由のある占い師、厲百程と脳に障害を持つ妻、石真珠の夫婦の話である。章回体小説の形態をとっていて、各章毎その内容の概要をタイトルで示して始まる、例えば「春節、夫婦故郷に戻る」など丁寧な事に日本語であり、随所に登場し表示される。何故か「野菊の如き君なりき」のモノクロ映像が甦る。

 場所は北京の近郊であろうか、そこで占い業を営む夫、個性強く主張は客を圧倒するのか、占いもよく当たるらしく、近所の同様な境遇の庶民(中国語では「遊民」)がやってくる、唐小雁もそんな一人で迷っては占いを、よく見てもらいに来る、そして運命鑑定というよりは、人生のアドバイスとも思える忠告を聞いて自分の糧としている。彼女は実はマッサージ店と称して風俗業のママで、何人か女の子をかかえて商売をしている、そんな彼女へカメラの焦点は移動して行く、男に一歩も引けを取らない中国女の力強さを発揮し、問題を起こしたのは内縁の夫だったのか、常連の客なのだろうか、凄い勢いで暴力も辞さない奮闘ぶりで、なじり、こづき、男は退散してゆく。その周辺には、気の置けない人々ばかりで不自由な生活の二人に優しい声を掛ける、そして夫も健常生活の出来ない妻に対し献身的に面倒を見ており、本来の介護や扶助の在り方を考えさせられる。制度や金銭を介在とした介護方法はどんなに豪華で親切であれ限界があり、人間同士の本来の関係が介在する事とは程遠く、返って弱者同士の関係の方が心も血も伝わる気がし、夫の人生に対する確固とした自信も滲み出てきて、この夫婦の関係の素晴らしさを実感させられる。春節に妻の実家に戻るシーンがある、兄夫婦が住んでいて妻はそこで虐待を受け益々精神を悪くした、その動物の檻のような小屋を「ここで妻は暮らしていた」と言って示す。そこに兄夫婦への恨みは存在しないし、親族での平穏な食事風景の映像が続く、故郷での仲の良かった路上生活者と会って昔を懐かしみ寒さも共有する、過去へのこだわりとか、未来への不安を微塵も感じさせずに、現在の「時」が刻々と確実に表現されてゆき、そこを徐監督は普通の目線で捉えてゆく、時には若い女性との金の交渉場面も入り、そこでは監督との少々倹悪な会話もシーンも織り込まれ監督自身も画面上に介在せざるを得なくなる。そしてラストには唐ママは売春容疑で捕まり留置場へ、そして「その後は行方不明」とのテロップ、ところが各国の映画祭の上映には監督に付き添う形で登場し、監督以上に質問が寄せられ、逞しく、しかも可愛く受け応えし、喝采を浴びている。

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映画「これは映画ではない」

2012年 2月 16日 木曜日
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「これは映画ではない」This is not a film 2011 イラン75分

監督 ジャファール・パナヒ、モジタバ・ミルタマスブ ドキュメンタリー

 パナヒ監督は「白い風船」で1995年カンヌ映画祭でのデビューとなった、2006年「オフサイドガールズ」ではサッカーワールドカップのイランーバーレン戦の試合を見たい女性の熱望ぶりを通して、女性がスポーツ観戦をしてはいけないという、西欧、アジア他国では考えられない事実を伝えることで、イスラムにおける女性差別を表現していた。それらの作品は現体制に批判的であることで自国では公開されていず、また2009年の大統領選では対立候補を支持したことなどにより、監督活動を停止され自宅軟禁となった。審査員として決まっていたカンヌ映画祭にも出席できず、映画人達による大々的な釈放を求めた抗議活動となった。活動停止の内容は「海外へ出国してはいけない」「映画製作をしてはいけない」「面会者の制限」などで、その停止を犯してはいないことを検証しながらこの「作品」が始まる、三脚にセットされたカメラを自分でオンにして話し始める、頭の中にある映像を説明しだす、しかしそれを観客が想像して行くことは難しい、そのうち絨毯にテープを貼りながらセットの状況を示し出す、まだよくわからない。以前撮影した映像が出て来て、それは少女が撮影中「自分が知っていることを知らないと嘘つけない」と撮影途中でやめてしまうシーン、監督の気持ちを画面で代弁している。自分の携帯を使って家の中を撮影し始める、立派なマンションだ、イランでは監督業は恵まれているのか、壁一面の蔵書、そこをゆったり歩きまわるペットのイグアナ、綺麗なペルシャ絨毯、家中案内するように映し出す、その間面倒な電話のやりとりや、お隣さんは強引に犬を預けに来たり、留守番も楽ではない、仕組まれた出来事なのか不明だがグルグル奔放に変わる映像は飽きさせない、付け放ししのテレビに大震災の映像が流れている、「どきっ」とする、このように映像は全世界に流されたのだ。最上階のベランダ越しに見えるテヘランの大都会の町並み、巨大なクレーンが興味深く動き続けている、やがて薄暗くなり街中で繰り広げられる「火まつり」の喧騒が聞こえ火もあちこちに、見え始める、監督を撮影していたミルタマスブ監督がカメラを置いて帰ってしまう。玄関でブザーが鳴り、学生がゴミの回収を告げる、カメラを持ってそれに同行する、1階1階止まるエレベーターの中での回収合間のインタビューが続く、慌ただしい質問と回収作業が奇妙な間を作り不思議な緊張感を醸し出す、やがて地上に着き、外に出掛かるがその青年に「捕まりますよ」と注意され玄関外の「火まつり」を映し出しながら映画は終わる。            

恋愛でもそうだ、親に反対されれば、会うことを妨げられる程燃え上がり思いは募る、正にパナヒ監督はその火中にあり、その思いが単純な、しかし重みのある映像の端々に滲み出ている、通常の作品でもそうだが製作側の熱情が画面に反映するものであり、それは観客にも伝わる。「作ってはいけない」という、致し方ない手枷足枷の窮地が小品傑作「これは映画ではない」を生み出した。その立役者はイラン政府という事になるかもしれない。

昨年度フィルメックス招待作品「奪命金」のジョニー・トー監督は閉会式セレモニーに参加出来ないため、メッセージを送ってきた、それは監督自身がカメラを三脚でセットする準備から始め、おもむろにカメラに向かって語り始める、明らかにパナヒ監督への賛辞を示しており、応援メッセージとなった。

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映画「警察日記」

2011年 12月 2日 金曜日
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映画「警察日記」1955 日活111分
監督 久松静児
出演 森繁久弥 三國連太郎 三島雅夫 十朱久雄 織田正雄 殿山泰司 宍戸 錠 伊藤雄之助 東野英治郎 左 卜全 多々良純 三木のり平   稲葉義男 高品 格 二木てるみ 小田切みき 岩崎加根子 坪内美子  飯田蝶子 沢村貞子 千石規子

想像してしまう、この映画が公開されていた頃の映画館の様子を。昭和30年、映画が娯楽として最高潮に達していたころ、テレビ時代はすぐそこまでやって来ているが、街に何軒もある映画館はどこも超満員、1週間で入れ替わる作品を見逃すまいと沢山の観客が押し寄せる。立ち見で押し合い圧し合い立錐の余地も無い、入りきれない観客は閉まらないドア越しに一部しか見えない画面と聞こえる音声に集中して何とか楽しんでいる。皆が画面に集中し、館内が一体となり、緊張し、興奮し、爆笑し、ホットしたり、涙ぐんだり、怒ったり、地面は揺れ、建物が傾ぐようだ、そして「終」或いは「完」のエンドマーク後、明るくなった館内は上気した顔で溢れ、次回上映の席取りで騒然となる、この「警察日記」もそのような中で上映され、家族皆で楽しめる映画としてヒットした筈だ。私も親に連れられ見ているかもしれない。この出演者の豪華な顔ぶれが凄い、戦後映画界を支えた男優女優達で、映画の内容から飛びきりの美人女優は登場しないが、宍戸 錠はこの作品がデビュー作で美男子ぶりは後の「ジョー」からは想像出来ない、そして何といっても、この映画のヒロインは5歳の二木てるみである「赤ひげ」での新人女優としての名演技の印象が強かったが、それは此の頃から既に培われていたものとわかる、顔付も殆ど変わらず5歳の面影を後々まで残している、その可愛らしさは多くの特に母親たちに印象を強くしたに違いない。

映画は東北福島のある町の警察署を舞台にした、戦後10年たった住民たちの生活ぶりである、敗戦の痛手から立ち直り、女性の地位向上、社会進出も進み、経済的にも復興し始めて来ているが、その潮流に乗り遅れた不幸な弱者たちも多い、そんな人々の混乱した生き様が警察署を舞台に繰り広げられる。二木てるみは赤子の弟ともに捨て子として保護されるし、岩崎加根子は「くちきき」屋に騙されて紡績工場へ行く前に保護される(実際は彼女もグルで「おとり」のようなのだが)そして軽犯罪の殆どが極貧からの食べることにも事欠く状態を要因とした窃盗であったり、無銭飲食だったり、詐欺だったりで時代背景を反映している、そこに好演している幼い子供が絡んでくれば「お涙頂戴」の悲劇にもなり、しんみりした人情話となる。また一方で強者の中心は商家の次男坊が県議会議員となり地元に凱旋し、芸者をあげての歓迎会となる、警察署も含めた行政の対応ぶりも街をあげての接待となり、ついこの間まで続いていた慣習は此の頃根付いたようだ。経済的に豊かになっていることも、そして観客に豪華さを示すことで元気になってもらいたい主旨も織り込まれている。戦前の「特高」的イメージの警察機構の払拭も重要なテーマであろう、親切この上ない署長を中心とした幹部巡査の人情味あふれた対応とそれを見る若い巡査の眼差しが将来の希望にも繋がり、素晴らしい時代の到来を示しており、最後には駄目押しのように、新設なった自衛隊入隊のシーンを加え、一気に高度成長へ進むことになる。十年間が戦後の節目となったのか、当時の様々な現象を網羅しており、社会派映画台頭の反面での娯楽家族映画の集大成の作品となっている。昭和30年「キネマ旬報」日本映画ベスト・テンでは「浮雲」「夫婦善哉」「野菊の如き君なりき」がベスト3で「警察日記」は第5位だった。

 

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映画「密告者とその家族」

2011年 11月 16日 水曜日
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映画「密告者とその家族」The Collaborator and His Family
1911年  米イスラエル仏84分
監督 ルーシー・シャツ アデイ・バラシュ  ドキュメンタリー

山形ドキュメンタリー映画祭今年度グランプリ受賞作品である。監督夫妻訪日の予定であったが、家庭事情により来日出来ず、残念なことである。
作品は中東パレスチナ自治区においてイスラエルへの情報を流すいわゆる「密告」していたことがパレスチナ自治区側に発覚しイスラエルへ逃げて来た家族の話である。「密告者」として発覚すると国や仲間から家族を含めて即刻収監や殺害されてしまうことになる、仲間への裏切りは決して許さない法治を超える長い間の民族の掟である。主人公の父親はやっとの思いで脱出し、家族も後に合流する。しかしイスラエルでは受け入れることはするが、その家族に滞在許可証を発行しない、パレスチナを去った「情報提供者」はお払い箱なのである、妻と男の子3人幼い娘が2人、粗末な部屋で何とか生活している。不法滞在者に対する、子供たちの学業の問題や、生活関連の行政の対応はどのようになっているのか不明部分は多いが、何の保証もない生活は過酷である、収入は家賃取り立て代行のような仕事で得ているらしい、子供たちが学校に通いだしても、楽しく集える場所とは程遠く、昼間街を徘徊するようになるとそこにはイスラエル警察の尋問や新たな「密告者」への誘いの罠が待ち受けている。夫婦仲もそんな過酷な生活の中、歪みも生まれ、DV嫌疑で夫の方は妻及び家族と同居することを禁止され、もっと酷い部屋での生活を強いられる、只この決定がどの当局の判断でなされたのか疑問は残る、不法滞在者としての存在でも夫婦仲の問題を取り扱えるのだろうか?誰がどこに訴えたのだろう?しかしそんな生活が子供たちを含め続いていても、父親を中心とする家族の絆は、その厳しい環境がより強くさせるのか、結局家族しか拠り所がないからか、強い力で結ばれている、父親の誕生日には大きなケーキで皆が祝い、現状を忘れさせる程の素晴らしい笑顔でお祝いする。そこには世界共通の子供たちの純粋な瞳の輝きを見ることが出来る。故郷に帰りたいが、そこには死か監獄しかない、異国での根なし草の生活はどこまで続くのか、自国喪失を受け要らざるを得ない中、その生活している異国への恨みもまた次世代へと繋がってゆく。               イスラエルの建国60年位になるが、その新しい国を守る力、それを脅かす存在への強い抵抗は人道を超えることが多い、特にパレスナ自治区への攻撃は治まることを知らない、四方敵に囲まれる中、手段を選ばず行われる、この「密告制度」も国際法上許される筈なく、最近では国連への加盟承認に対しても様々な合法的報復を声明しているし、ユネスコ加盟に関しても同様である、頼りは全世界各地での力を確保しているユダヤ人であり、その中心は米国でありイスラエルに何事も同調している。遥か極東の地でそのことにコメントするのは難しい問題だが、ユダヤ人が受けた紀元後の迫害の歴史、第2次大戦でのホロコーストで有史最大の悲劇を経験し、その受けた民族的な痛みは過剰防衛の自己保身となる。長男が語る「腕に鉄十字章の刺青をして、ユダヤ人に誇示したい」様々な脅しや誘惑の中、父親の道をまた歩むのか、逆の自爆の道に進むのか悲劇は終わりそうにない。

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映画「春夏秋冬くるぐる」

2011年 10月 21日 金曜日
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映画「春夏秋冬くるぐる」 2011 日本45分                                            監督 脚本 編集 日原進太郎                                                出演 松雪オラキオ 木田尊大 芦原健介 豊永晃太郎 

今年度ぴあフィルムフェステイバルの準グランプリ作品である、グランプリ作品は未見だが、入選作品17本中5本鑑賞したがこの作品がダントツに面白かった。時間なく監督のQ&Aが聞けず、そこで色々疑問は解決しているかもしれないが、まずタイトルから難しい。「くるぐる」部分である、「ぐるぐる」でも「くるくる」でもない、「くる」は漢字だと、「来る」「繰る」「刳る」となり、「ぐる」は「グルになる」の悪巧みをする仲間たち、ということになる。全てを含んでいるのだろうか?大学最終学年を迎えた4人の学生の、主人公の下宿を中心とした青春期の1年間の様子である。一人で住むには少々贅沢な下宿(六畳一間となっているようだが映像的には二階建て一階部分全て)で当然仲間は自然と居心地のよい所に集うようになる、映画作製としても非常に都合よく予算が掛からぬようラストシーン以外この下宿の外に出ることは殆んどない。日付のクレジットから、その一日の模様が繰り広げられる、それは社会的に特別な日(911、214など)もあるが仲間たちにとって理由があるようである。設定は10年位前だが、色々設備など除くと雰囲気としては20年位前の感じだ。春の花見から下宿に戻って来る所から始まる、昼酒を飲みすぎたのか、寝込む者、まだ足りない者、それぞれ勝手に振る舞い「来年は夜桜にしよう」など男4人の自然な流れとなっている。それぞれ4人の個性が面白い、家主の主人公、地方のイイトコのお坊ちゃんなのだろう、洗濯もきちんとまめにやり、部屋も綺麗に片付けられ、友達が汚しても文句言わないし、実家からクール便で色々送られても気前よく分けてしまう、仲間には必ずこの手が一人居るもの、でないと集団が維持出来ない。彼女との花火のデートが成立し、絶好調の仕草が気持ち良い、後日談がもっと面白い、仲間が「花火=セックスだろう、まして下宿まで来たんだろう、それは失礼というもんだ」と攻められる。観客も沸く。下手くそにいつもギターをつま弾く一人は突然ニューヨークに旅立つ、残った3人それぞれの日常はあるが、「出来ちゃった、生むつもりだ」と現実社会に呼び戻される者、取りあえず広告代理店に内定もらった者、それぞれが短くも楽しかった青春の終焉を迎え、主人公も実家へ戻る引越準備の中やっと自立に芽生え、戻ることを止め、立ち上がろうとする。ラストは日頃写していた8ミリ映像の画面が現れる。これが素晴らしく効果的で、まさに青春の日常をとらえていて、その輪郭のぼけた画面から本来映像の持つ暖かさが伝わってくる、全編8ミリでは現在受け入れられないだろうが「パート8ミリ」は、ほのぼのとした昭和を表現する媒体となるのではないか、決して生涯忘れることのない彼らの一時期を押し込めている。ほぼ一年のサイクルで終わっているが、「洗濯機」「扇風機」「換気扇」とその「クルクル」を象徴するようなシーンが組み込まれている。輪廻までは飛躍しすぎるだろうが、また新しいサイクルで生きて行くことになるのだろう。

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映画「トゥルーグリット」

2011年 7月 15日 金曜日
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映画「トゥルーグリット」True Grit 2010米国110分                       監督 ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン 原作 チャールズ・ポーテイス                     ジェフ・ブリッジス、マット・ディモン、ジョシュ・ブローリン

気丈で聡明、口から発せられる言葉は14歳の少女らしからぬ敵格さとウィットに富み、おじさんやエリ-トを困惑させ、商売の駆け引きにまで打ち勝ち、荒くれ男の世界に飛び込み、タフな精神力で「父の敵撃ち」の目的を達成したマテイーを、見事演じているのだが、この映画の主人公は、そのジョシュ・ブローリンではない。「クレージー・ハート」では腹の突き出たアル中ミュージシャンを見事に演じ、「どうしたら娘のような女性から愛されるになるか」を中年男に示し喝采をあびたが、今回酒量は倍になり、騎乗もままならない中年保安官を演じ、ギターをピストルに変え、新宿署の、ヤクザと区別のつかない刑事のように、殆ど極悪人のような立ち居振る舞いだが、長年の経験則は現場で見事発揮され確実に悪い奴は殺す、だがそのジェフも主人公にはなれない。日本では桜田門のSPに例えればよいのか、どこの大きな組織にもこの手はいるのだが、警察畑のエリート、テキサスレンジャーで、高所から判断を下す様は権力と地位と能力を併せ持ち、自分中心に世界は動いていると信じ、その高慢な役をマット・ディモン、ピッタリはまり役で上手に演じているが、主役ではない。                                             この映画の主人公は、この地フォートマスを中心とした「西部」の地である。米国は広い、その中で開拓時代、温暖風光明美の土地ばかりであった筈もなく、気候の面でも灼熱の砂漠もあれば、寒冷の山間もあった訳で、その地域差、季節感の出ている西部劇となった。遥か昔、見た映像の刺激は強く、裸で出てくるインデイアンばかり印象に残っているが、南の地ばかりが開拓の対称となった訳ではないのだ。この映画のオフィシャルサイトは大変充実していて(http://www.truegritmovie.com/intl/jp/)、その細字に苦労するが興味深く当時の事情を説明している。引用すると、時は1879年当時38州であったがそのオクラホマ州フォートマスが舞台であり、文明化を西に向けて進めていたが、この地は当時最西端にあり、さらにその西は「無法」「無神」であり原住民領であった、そして後には都市の奥深い一角が例えば「カスバ」や「九龍城」がその役を担ったが、当時では、この地に犯罪者やならず者が逃げ込み、追手から逃れる場所となった。当然その者たちを追う「レンジャー」「保安官」「賞金稼ぎ」の溜まり場ともなった。様々な近代文明が西を目指し、それは機関車や、武器、ガラス窓、経済活動であったりするが、法整備が追いつかない、その土地それぞれで見合う法律が作られるが、それは白人中心であり、原住民や移民者には差別されたもので、縛り首の原住民には弁明の機会も与えられず、保安官も中国人の子供を何の躊躇いもなく殴り飛ばす、現在の米国社会に通ずることで、強い者が社会を引っぱてゆくのだという主張と、その歪みを正そうとするキリスト教(原作には度々当時のキリスト教関連の組織の話が出てくる)を背景にした、そんなに単純なものではないだろうが、強烈な民主主義とのせめぎ合いが、以降の米国社会の歴史となるのだろうか?

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映画「無言館」

2011年 6月 27日 月曜日
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映画「無言館 戦没画学生慰霊美術館」2011年日本 86分 ドキュメンタリー           監督・脚本 宮本辰夫 出演 窪島誠一郎 天満敦子 菅原文太               主題歌 佐藤真子 朗読 岩崎加根子 ナレーション 若井なおみ

長野県上田塩田平の南、独鈷山麓の名刹前山寺の東の一角に「無言館」が平成9年(1997)夭逝画家村山槐多を中心とした「信濃デッサン館」の分館として開館した。    館長窪島氏自身出征の経験を持ち、画家でやはり出征し多くの仲間を失った野見山曉治氏と多くの画学生が志半ばで戦地に追いやられ戦死していった事実を知り、戦没画学生の遺品を集める、芋吊り式に多くの作品が集まり現在の収集となった。

映画は東京芸術大学学園祭のシーンから始まる、若者が山車を担いで練り歩き大声で気合いをかける、画学生の芸術的センスを感じさせるその法被であり山車である。そして「無言館」の説明が始まる。以前私は長野への旅行に際し、入館したことがある、その主旨を殆ど知らずに鑑賞したのだが、最初の印象が親近感であった、それぞれの持つ絵の力強さが伝わってきて思わず絵に引き込まれてしまった。絵に関して全く門外漢の者であるが、稚拙な中にも力強さ、決して大きなことを求めないひた向きさ、しかし、絵に関する基礎的なテクニックはしっかり感ぜられる、印象であった。昨近の「日展」入選作品でもそのキャンバスの大きさには圧倒されるが、何も伝わって来ないことが多い、登竜門とはいえ目的意識の低さや、絵に対する迷いも感じられ現代絵画の難しさもそこに見えるのだが、時間がない、明日がない、切羽詰まった状況で人生の伴侶、それは恋人でもあり、母でもあり、家族でもあるが、絵に対しても同様であり、凝縮された熱情が絵具の塊の中に見えてくる様は鑑賞する者を圧倒する。そこには画業半ばの秀作も多く、完成度から言えば達していない作品もあるがその気持ちは伝わってくる。

その後に続く映像で窪島館長の真骨頂が描き出される、戦没画学生の鎮魂には終わらず、現代にそれをどう取り込むかの活動を追っている、多くの若者にこれらの絵を通して平和の希求、人間の素晴らしさなど知ってもらうため様々な空間への展示を積極的に進め、それは広島の旧銀行の地下金庫室であったり、京都立命館の展示室の一角であったりする。年老いても画業だけを続ける画家はその平均寿命の高さから多いが、絵を通じて自分自身の生き様を伝える芸術家は少ない。一方では小学生、中学生に美術館に来てもらい、形骸化しがちの戦争体験を孫世代程違う若者にまで熱心に説明し、当時の模様を語り、若者の感じ方を興味深く見つめている。「忘れない」ための取り組みとしての毎年8月の「千本の絵筆供養」のユニークさも太変なアイデアであり非凡さを感じさせる。この美術館に多くの若者が訪れることで、絵の持つ普遍性や平和の大切さを未来永劫伝えていただきたい。

一方当然居たであろう音大生の戦没者の場合どのような取り組みが可能なのだろうか、空気に溶け込んでしまう音をどのように歴史の中に存在させたらよいのだろうか?

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映画「ドリ-ム・ホーム」

2011年 5月 27日 金曜日
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映画「ドリーム・ホーム」維多利亜壹號 Dream Home 2010年 香港 96分       監督 パン・ホーチョン 出演 ジョシー・ホー、イーソン・チャン、デレク・ツァン、          

 見てはいけない、血に縁のない男は、特に中年以降の男性には勧められない。私も何の予備知識もなく、題名の「ドリーム・ホーム」とパン・ホーチョン監督最新作と聞いただけで何の躊躇もなく飛び込んで何度眼を瞑ったか、そして途中退室を思ったか、空腹状態だったのだが終了後何も要らない状態に。「スプラッター」映画というジャンルがあるのも初めて知った、「血しぶき」(splash)から来たらしいがやたら血が飛び散り、肉体が破壊される、といって戦争映画の戦闘シーンは違うらしい、個対個が徹底して血生臭く殺し合い阿鼻叫喚の世界へ誘い込むことらしい。映画にはその境界は曖昧だがジャンルが色分けされてきた、古くは「エロ、グロ、ナンセンス」それに昨近のホラーブームが加わり、古い表現ではラブロマンス等、多種多彩に色分けされて宣伝され鑑賞の参考としたが、現在宣伝にそれと謳っているのは「ホラー映画」位だろうか?映画の内容には触れない、只一つシーンを紹介する、香港の不動産高騰の時期、「地上げ」が横行した、立ち退かない居住者への嫌がらせである、鉄格子状のシャッターには頑丈な鍵が掛けられており留守なのだろう、ヤクザはやおら麻袋の中から毒蛇を数匹その隙間から部屋の中に放つ、このシーンはこれで終わるのだが、子供が学校から帰ってきたら、奥さんが買い物から戻ったらと想像するだけで背筋がぞっとするのである。パン監督これまで様々映像を提供してきた、しかし日本では映画祭のみの公開でそのチケットも完売が多い、今回初めての公開である。「ユーシュートアイシュート」(01)ではハチャメチャな映像を披露し「AV」(05)では日本のAV業界の完成度?を賞賛しているし「イザベラ」(06)ではマカオ返還時の警察官の哀歓を伝えている「出エジプト記」(07)は怪しげな組織の話である「些細なこと」(07)では何でもないことを克明な映像にまとめている「恋の紫煙」(10)は愛煙家の悲哀をラブストーリーに仕上げている。全く分野の違った様々な視点から作製する映像は期待感も膨らみ裏切られたことがなく、毎回十分楽しみ次作へ繋がってゆく。今回の作品は、一方で映画監督の職人魂の凄さを感じる映像でもある、園子温の「冷たい熱帯魚」も凄まじいシーンが登場するが、それらの他の監督の作製する同じような映像に挑戦するかのように「どうだ!まいったか!」とこの作品をぶつけ、完成度の高い映像を示し、ここまでやるかという、プロを唸らせる、同業者が脱帽する作品となっているのではないか。個人的には次回作はこの手法で「アダルト作品」を手掛けてもらいたい。でも見てはいけない。やさしい否定は対象を忘却へ誘う、強い否定は対象の存在を倍加させる、決して営業妨害ではないと思うのだが。でも見ないに越したことはない。

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映画「現在それは過去の未来」

2011年 5月 25日 水曜日
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「現在それは過去の未来」現在是過去的未来Disorder 2009年中国58分

監督 黄偉凱監督 ドキュメンタリー

中国広州市内で起きた様ざま出来事を、それぞれに居合わせたビデオ所有者が撮った映像をまとめ、編集した作品である。従って日常ではない出来ごとばかり写っているわけでこれを通して中国の現実を理解したとするのは大変危険で当然中国国内では公開されていないし、ニュースのひとつとして見る必要がある。只映像は現象を適確に捉えており、中国の持つ現状の大変さを理解出来る。それぞれ現象を細切れにして交互に出てくる様編集しており不確かな部分もあるが、取り上げられたシーン箇条書きにしてみます。

①     珠江が氾濫したのか町は水浸し、汚物はプカプカ浮いているし、警官も革靴手にして裸足で警備、成す術がない。

②     道路ロータリー脇の消火栓に車がぶつかったのか、勢いよく水が噴き上げ、道路も冠水しているが、担当者不在か、処置ができないのか、延々と噴き上げ続けているのを市民が見守る。

③     警官の対応に不満で欄干に自分を針金で縛りつけ、聞かないと飛び込むぞと喚き散らす。

④     河川の清潔さをアピールするために、行政担当者が河に入ってデモンストレーションを行う、泳げない人がいるのか、ラグビーボール状の浮輪が面白い。

⑤     ヘドロが集積している運河のドブの中で投網を打っている男、驚くことに沢山のヘドロの中に生きた魚が居る、魚市場に出すのでは?

⑥     ビル工事現場で遺跡が発見されたとの情報で係官が調査にゆくが頑として入場を拒む。

⑦     中央に高い分離柵のある道路を沢山の車の行き交う中平気で多くの地元民が横断しようとする、警官がいくら注意しても聞かない。

⑧     精神異常者か車の間を平気で歩き回る、危険この上ない。

⑨     人身事故現場直後の道路、色々散乱している中を人々は平気で横断する。

⑩     密集地帯での火事現場、消化活動終了後、鎮火してなくて火がまた付き混乱する。

⑪     ドブの中に何かいるかとよく見ると大きなワニ。

⑫     ゴミ置場のような一体何か動くものが、まさかと思うと生後3カ月位の赤ん坊、居合わせた女性がミルクを与えるが飲まず、諦めて行ってしまう、その後どうなったのか?

⑬     盗難車一斉摘発の現場、居合わせた者を一網打尽で、逆らう者への警官の暴行が凄まじい

⑭     スーパーの倒産で経営者逃走してしまい、押収物の中に、熊の手やフカヒレなど高級食材多数あり無造作に道路に並べてある。

⑮     交通事故で運転手が病院に運ばれるが、病室で金がないから帰ると点滴を抜いてしまう

⑯     高速道路で荷台の生きた豚が多数逃走回収が大変な作業に。

⑰     自動車事故の被害者が道路に横たわったまま動こうとしない示談したい運転手は困ってしまうが、そのうち誰かが「こいつは交通事故詐欺の常習者だ」と言い出す。

⑱     街中で何の犯罪で逮捕されたのか、その者への警官の執拗な暴力シーン。

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映画「リリア-4- ever」

2011年 5月 9日 月曜日
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映画「リリア4-ever」02スウェーデン 105分 ロシア語(英語、スウェーデン語)
監督 ルーカス・ムーデイソン
出演 オクサナ・アキンシア、アルチオン・ボグチャノスキー、エリーナ・ベニンソン

日本では未公開であり、北欧映画祭にて上映された。DVD化もされておらず、運が良ければ、YU –TUBUで英語字幕で鑑賞出来るかもしれない。監督ムーデイソンは過去作品「ショー・ミー・ラブ」「エヴァとステファンと素敵な家族」で脚光を浴び今回の作品となった。スウエーデン映画といえばベルイマンが有名でその記憶しかないが、監督は孫世代にあたり月日の速さに驚かされる。
 ケン・ローチは「Sweet Sixteen」(英02)でイギリスの疲弊した街で十代の若者の行き場のない叫びを悪の世界に身を置くことで解消しようとし、結果は自分を「捨てる」ことであった。しかしそこには悪に引き込む頼れるアニキもいたし、仲間もいた。チャン・ツオーチは 「美麗時光」台湾01では主人公の危うい青春時代が黒社会に繋がり泥沼にのめり込んでゆく、そこには否定的だが家族も友人も居た。最近の韓国映画「息もできない」では家族からも仲間からも離れ行き場のなくなった若い男女が束の間ではあるが同じ時を共有出来た。
 「リリア」はその全てから見放された少女の話である。舞台はロシアの大きな国営工場が閉鎖になった一地方の町である。体制の崩壊により街の一角は世界から見放されたような現状で明日の食糧にも事欠く中、大人も子供も必死に今日を生きている。冒頭まず母親に捨てられる、父親は生まれたときには既に出奔しており顔も知らない、母親と愛人は米国行きを計画し娘も一緒の話にウキウキしていたがその場になって二人だけで行ってしまう。頼りな筈の叔母は劣悪な自分の住居と無理矢理交換させ、廃墟のような部屋に住むことになる、学校は双方が歩み寄る空間とは既になっていなく、親友達にも裏切られ、誤解から段々離れていってしまい逆に迫害に遭う。そんな中唯一の心の拠り所が近くの同じような環境の年下の男の子のヴォロージャ、彼の淡い恋心とは無縁に母心のような接し方で弟のように庇い、養い、寂しさを解消している。そして当然の帰結のように体を売ることで生活を支えるようになり、そこに親切な男が現れる、言葉巧みに西欧社会の素晴らしさを伝える、そしてリリアは眼を輝かせて未来の夢を思い描く、一貫してリリアはどんな境遇に成っても上昇志向を持ち続け生きて行き、挫けることを知らない、それは最後の最後まで変わらない、ヴォロ-ジャと幸せな空間を共有出来るのだがあまりに悲しい、天空空高く「とんび」だろうか、二人を旋回しながら見下ろしている。そして二人がいつも過ごした木製ベンチには「Lilja-4- ever」と刻まれていた。全編「t.A.T.u.」やラムシュタインの曲が流れ力強い映像を作っている。

   

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