芭蕉堂店主ブログ 雖小居日録

映画「警察日記」

2011年 12月 2日 金曜日
BLOGカテゴリー: 映画

映画「警察日記」1955 日活111分
監督 久松静児
出演 森繁久弥 三國連太郎 三島雅夫 十朱久雄 織田正雄 殿山泰司 宍戸 錠 伊藤雄之助 東野英治郎 左 卜全 多々良純 三木のり平   稲葉義男 高品 格 二木てるみ 小田切みき 岩崎加根子 坪内美子  飯田蝶子 沢村貞子 千石規子

想像してしまう、この映画が公開されていた頃の映画館の様子を。昭和30年、映画が娯楽として最高潮に達していたころ、テレビ時代はすぐそこまでやって来ているが、街に何軒もある映画館はどこも超満員、1週間で入れ替わる作品を見逃すまいと沢山の観客が押し寄せる。立ち見で押し合い圧し合い立錐の余地も無い、入りきれない観客は閉まらないドア越しに一部しか見えない画面と聞こえる音声に集中して何とか楽しんでいる。皆が画面に集中し、館内が一体となり、緊張し、興奮し、爆笑し、ホットしたり、涙ぐんだり、怒ったり、地面は揺れ、建物が傾ぐようだ、そして「終」或いは「完」のエンドマーク後、明るくなった館内は上気した顔で溢れ、次回上映の席取りで騒然となる、この「警察日記」もそのような中で上映され、家族皆で楽しめる映画としてヒットした筈だ。私も親に連れられ見ているかもしれない。この出演者の豪華な顔ぶれが凄い、戦後映画界を支えた男優女優達で、映画の内容から飛びきりの美人女優は登場しないが、宍戸 錠はこの作品がデビュー作で美男子ぶりは後の「ジョー」からは想像出来ない、そして何といっても、この映画のヒロインは5歳の二木てるみである「赤ひげ」での新人女優としての名演技の印象が強かったが、それは此の頃から既に培われていたものとわかる、顔付も殆ど変わらず5歳の面影を後々まで残している、その可愛らしさは多くの特に母親たちに印象を強くしたに違いない。

映画は東北福島のある町の警察署を舞台にした、戦後10年たった住民たちの生活ぶりである、敗戦の痛手から立ち直り、女性の地位向上、社会進出も進み、経済的にも復興し始めて来ているが、その潮流に乗り遅れた不幸な弱者たちも多い、そんな人々の混乱した生き様が警察署を舞台に繰り広げられる。二木てるみは赤子の弟ともに捨て子として保護されるし、岩崎加根子は「くちきき」屋に騙されて紡績工場へ行く前に保護される(実際は彼女もグルで「おとり」のようなのだが)そして軽犯罪の殆どが極貧からの食べることにも事欠く状態を要因とした窃盗であったり、無銭飲食だったり、詐欺だったりで時代背景を反映している、そこに好演している幼い子供が絡んでくれば「お涙頂戴」の悲劇にもなり、しんみりした人情話となる。また一方で強者の中心は商家の次男坊が県議会議員となり地元に凱旋し、芸者をあげての歓迎会となる、警察署も含めた行政の対応ぶりも街をあげての接待となり、ついこの間まで続いていた慣習は此の頃根付いたようだ。経済的に豊かになっていることも、そして観客に豪華さを示すことで元気になってもらいたい主旨も織り込まれている。戦前の「特高」的イメージの警察機構の払拭も重要なテーマであろう、親切この上ない署長を中心とした幹部巡査の人情味あふれた対応とそれを見る若い巡査の眼差しが将来の希望にも繋がり、素晴らしい時代の到来を示しており、最後には駄目押しのように、新設なった自衛隊入隊のシーンを加え、一気に高度成長へ進むことになる。十年間が戦後の節目となったのか、当時の様々な現象を網羅しており、社会派映画台頭の反面での娯楽家族映画の集大成の作品となっている。昭和30年「キネマ旬報」日本映画ベスト・テンでは「浮雲」「夫婦善哉」「野菊の如き君なりき」がベスト3で「警察日記」は第5位だった。

 

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映画「無言館」

2011年 6月 27日 月曜日
BLOGカテゴリー: 映画

映画「無言館 戦没画学生慰霊美術館」2011年日本 86分 ドキュメンタリー           監督・脚本 宮本辰夫 出演 窪島誠一郎 天満敦子 菅原文太               主題歌 佐藤真子 朗読 岩崎加根子 ナレーション 若井なおみ

長野県上田塩田平の南、独鈷山麓の名刹前山寺の東の一角に「無言館」が平成9年(1997)夭逝画家村山槐多を中心とした「信濃デッサン館」の分館として開館した。    館長窪島氏自身出征の経験を持ち、画家でやはり出征し多くの仲間を失った野見山曉治氏と多くの画学生が志半ばで戦地に追いやられ戦死していった事実を知り、戦没画学生の遺品を集める、芋吊り式に多くの作品が集まり現在の収集となった。

映画は東京芸術大学学園祭のシーンから始まる、若者が山車を担いで練り歩き大声で気合いをかける、画学生の芸術的センスを感じさせるその法被であり山車である。そして「無言館」の説明が始まる。以前私は長野への旅行に際し、入館したことがある、その主旨を殆ど知らずに鑑賞したのだが、最初の印象が親近感であった、それぞれの持つ絵の力強さが伝わってきて思わず絵に引き込まれてしまった。絵に関して全く門外漢の者であるが、稚拙な中にも力強さ、決して大きなことを求めないひた向きさ、しかし、絵に関する基礎的なテクニックはしっかり感ぜられる、印象であった。昨近の「日展」入選作品でもそのキャンバスの大きさには圧倒されるが、何も伝わって来ないことが多い、登竜門とはいえ目的意識の低さや、絵に対する迷いも感じられ現代絵画の難しさもそこに見えるのだが、時間がない、明日がない、切羽詰まった状況で人生の伴侶、それは恋人でもあり、母でもあり、家族でもあるが、絵に対しても同様であり、凝縮された熱情が絵具の塊の中に見えてくる様は鑑賞する者を圧倒する。そこには画業半ばの秀作も多く、完成度から言えば達していない作品もあるがその気持ちは伝わってくる。

その後に続く映像で窪島館長の真骨頂が描き出される、戦没画学生の鎮魂には終わらず、現代にそれをどう取り込むかの活動を追っている、多くの若者にこれらの絵を通して平和の希求、人間の素晴らしさなど知ってもらうため様々な空間への展示を積極的に進め、それは広島の旧銀行の地下金庫室であったり、京都立命館の展示室の一角であったりする。年老いても画業だけを続ける画家はその平均寿命の高さから多いが、絵を通じて自分自身の生き様を伝える芸術家は少ない。一方では小学生、中学生に美術館に来てもらい、形骸化しがちの戦争体験を孫世代程違う若者にまで熱心に説明し、当時の模様を語り、若者の感じ方を興味深く見つめている。「忘れない」ための取り組みとしての毎年8月の「千本の絵筆供養」のユニークさも太変なアイデアであり非凡さを感じさせる。この美術館に多くの若者が訪れることで、絵の持つ普遍性や平和の大切さを未来永劫伝えていただきたい。

一方当然居たであろう音大生の戦没者の場合どのような取り組みが可能なのだろうか、空気に溶け込んでしまう音をどのように歴史の中に存在させたらよいのだろうか?

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映画「リリア-4- ever」

2011年 5月 9日 月曜日
BLOGカテゴリー: 映画

映画「リリア4-ever」02スウェーデン 105分 ロシア語(英語、スウェーデン語)
監督 ルーカス・ムーデイソン
出演 オクサナ・アキンシア、アルチオン・ボグチャノスキー、エリーナ・ベニンソン

日本では未公開であり、北欧映画祭にて上映された。DVD化もされておらず、運が良ければ、YU –TUBUで英語字幕で鑑賞出来るかもしれない。監督ムーデイソンは過去作品「ショー・ミー・ラブ」「エヴァとステファンと素敵な家族」で脚光を浴び今回の作品となった。スウエーデン映画といえばベルイマンが有名でその記憶しかないが、監督は孫世代にあたり月日の速さに驚かされる。
 ケン・ローチは「Sweet Sixteen」(英02)でイギリスの疲弊した街で十代の若者の行き場のない叫びを悪の世界に身を置くことで解消しようとし、結果は自分を「捨てる」ことであった。しかしそこには悪に引き込む頼れるアニキもいたし、仲間もいた。チャン・ツオーチは 「美麗時光」台湾01では主人公の危うい青春時代が黒社会に繋がり泥沼にのめり込んでゆく、そこには否定的だが家族も友人も居た。最近の韓国映画「息もできない」では家族からも仲間からも離れ行き場のなくなった若い男女が束の間ではあるが同じ時を共有出来た。
 「リリア」はその全てから見放された少女の話である。舞台はロシアの大きな国営工場が閉鎖になった一地方の町である。体制の崩壊により街の一角は世界から見放されたような現状で明日の食糧にも事欠く中、大人も子供も必死に今日を生きている。冒頭まず母親に捨てられる、父親は生まれたときには既に出奔しており顔も知らない、母親と愛人は米国行きを計画し娘も一緒の話にウキウキしていたがその場になって二人だけで行ってしまう。頼りな筈の叔母は劣悪な自分の住居と無理矢理交換させ、廃墟のような部屋に住むことになる、学校は双方が歩み寄る空間とは既になっていなく、親友達にも裏切られ、誤解から段々離れていってしまい逆に迫害に遭う。そんな中唯一の心の拠り所が近くの同じような環境の年下の男の子のヴォロージャ、彼の淡い恋心とは無縁に母心のような接し方で弟のように庇い、養い、寂しさを解消している。そして当然の帰結のように体を売ることで生活を支えるようになり、そこに親切な男が現れる、言葉巧みに西欧社会の素晴らしさを伝える、そしてリリアは眼を輝かせて未来の夢を思い描く、一貫してリリアはどんな境遇に成っても上昇志向を持ち続け生きて行き、挫けることを知らない、それは最後の最後まで変わらない、ヴォロ-ジャと幸せな空間を共有出来るのだがあまりに悲しい、天空空高く「とんび」だろうか、二人を旋回しながら見下ろしている。そして二人がいつも過ごした木製ベンチには「Lilja-4- ever」と刻まれていた。全編「t.A.T.u.」やラムシュタインの曲が流れ力強い映像を作っている。

   

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映画「ありあまるごちそう」

2011年 4月 27日 水曜日
BLOGカテゴリー: 映画

映画「ありあまるごちそう」We Feed The World 05オーストリア 96分
   エルヴィン・ヴァーゲン・オファー監督・脚本・撮影
丸い形や長細いのや茶色や黒や、様々な種類のパンがベルトコンベアーで運ばれてくる、半端な量ではなく、やがてパンは積み上げられた一角に落とされる、シャベルカーがそれをダンプに積み込む。多くの日本人観光客が訪れるウイーンでの光景であり、テロップが流れ「この首都では毎年2千トンのパンが捨てられる、それはオーストリア第2の都市グラーツの年間消費量に匹敵する」「この地球上で毎日飢えた子どもたちが10万人死んでゆき、8億人が飢えに瀕し、地球全体の食糧生産量は120億人を養うことが出来る」スト-ブに「コーン」がくべられ赤々と燃え、食物燃料がエネルギーとして重要な立場となったことを象徴し、タイトルが現れる。6年前の製作であるが現状は地球の将来にとって好転しているとは思えず、この映像に出てくる現象は様々な場面で一層顕著となっており、「余る」状況は質的にはともかく量的には増えており、一方で「飢える」その政治状況は益々泥沼状態に陥っている。全編食物に関するショッキンングな映像が続く、スペインのどこだろうか、空撮のビニールハウスが続く、延々と丘陵地に白い畑が続きその内部にカメラが移動し、トマト栽培とわかる、ヨ-ロッパ向けで大規模生産により従来のアフリカ産より低価格にしたことで西アフリカのトマトは瀕死の状態となり、従業員はスペインへの出稼ぎとなった。大型トラックがEU各地へ新鮮なトマトを運んでゆく。話題は大豆へ、ブラジルの奥地へ向かう、森林を開墾し大豆が栽培される、森林伐採はCO2増加原因として大変問題となっており、「豆腐」大好き国として心痛むが、その殆どは、欧米へ家畜飼料として輸出されている。オーストリアの養鶏工場へと場面は移る。「チキン」が食卓に上るまでの工程の映像である。孵化可能な有精卵を産む親鳥を大量に提供出来る工場は世界に少なく、オス1羽メス10羽の割合で卵を孵化しその「ひよこ」が養鶏業者に売られ、飼育される、その飼料がブラジル産の大豆である、卵専用のブロイラーがカプセルホテルなら「大広間」の雑魚寝だろうか、薄暗い中動きの自由はあるが餌と水の往復である、生育すると掃除機で吸引されるようにラインに乗せられ一気に「製品」となってゆく、足を固定され、宙ずりのまま電気ショック、頸部を切断され血抜き、強力吸引装置で羽がむしられ丸裸に、優秀な最先端解体装置が細部まで入り込み、内蔵削除、部位毎の切断となり、部位は纏められ心臓は日本のヤキトリか、足は香港の屋台なのだろうか。普通の製造工場では工程を経るに従い製品の状態が明らかになるが、全く逆で見慣れた鶏が見る見る変貌して、クリスマスのローストチキンとなってパックされる。オーストリアが食糧生産経営の中心主要国であるらしく、世界一の食品会社「ネスレ」のCEOはオーストリア人である。そのインタビューで「従業員27万5千人その関連会社や家族を含めると450万人の生活がかかっており、あらゆる食料を日々増産してゆかなければならない」映像には出てこないが、人ごとではない、チラシには日本の食糧廃棄量、業社と家庭合わせて年間2200万トン(2005年)途上国の1億人分の年間食糧である。

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映画「祝(ほうり)の島」「ミツバチの羽音と地球の回転」

2011年 4月 4日 月曜日
BLOGカテゴリー: 映画

映画「祝(ほうり)の島」10年日本 105分 纐纈あや監督
   「ミツバチの羽音と地球の回転」10年 135分 鎌仲ひとみ監督
東日本大震災に被災された皆様心よりお見舞い申し上げます。またお亡くなりになられた方々の御冥福お祈りいたします。一日も早い復旧と平穏の回復お祈り申し上げます。
両作品とも山口県瀬戸内海に浮かぶ「祝島」を舞台にしたドキュメンタリーである、この内海の海上交通の発展によってもたらされた経済上、文化上の日本の歴史に果たした役割は大きく、点在する島々の有形無形の遺産は貴重な形で受け継がれている。祝島はその内海の周防灘からの入口に浮かび、千年も前から急峻な山を開拓し続け、恵まれた漁業とともに、島の発展を支え今日の姿となった。山には手間暇かけた琵琶がなり、その不揃い品を食べて育った豚が元気よく飛びまわり、狭い田んぼでは無農薬天日干しの米が作られる、磯に出れば何百年続いた「ひじき」漁が資源を絶やさない伝統を守りながら続けられ、沖に出れば一本釣りで高級魚の鯛が釣れる。都会から見れば理想郷のようなこの島でも若者は都市へ憧れ離島してゆく、しかし4年に一度、島出身者のアイデンテイテイを確認するかのように、各地に散らばった多くの島民が「神舞」(かんまい)の祭には戻って来る、豊漁、豊作を祈り親類縁者の集いは島全体を活気に充ち溢れさせ、往時の栄華を感じさせる。カメラはこの祭りを中心にして、島に残った若者と老人たちの日常を追い続ける。
 その祝島に「原発建設」の声が立ち上がったのが1982年の29年前、島の眼前にある上関町田ノ浦がその候補地、前面の海は島にとっては主要な漁業地である。以来人口500人の町が建設反対賛成の攻防を続けてきた。当然、対岸の田ノ浦も同町であることや、安定雇用、補償金、島生活の不便さなどから賛成派も多く、他の7漁協は賛成し、唯一この島の漁協が反対し補償金を返金している。町議会で建設賛成案が可決されても反対運動は行われ、島では28年間毎週、反対派がデモ行進を続けている、それは示威行動というより早朝ウォーキングに近い、オバちゃんたちがその鉢巻の物々しさとは裏腹にペチャペチャ喋りながら島内を歩く、それは皆に訴えるというより絆を確かめる、形骸化を防ぐ行動であり、28年間の結束を支えてきた。中国電力は議会の承認後工事に着手するがこれに対し漁民たちは実力で阻止行動を起こし、陸上ではおばチャンたちが座り込みを、海上では漁船を連ねて工事作業を一時は中断させるが、強行されてしまう。「皆さん第一次産業のみで生きてゆけますか?」「原発を作ることによって確実な雇用が生まれます」中国電力職員の海上での説得の言葉である。この攻防を追い続けた両作品だが、その対象とする人物や時間的ずれはあるが同じ視点で見ており、双方の映像にそれぞれが写ってしまうのではと心配させる程似た映像であった。「祝の島」は昨年「ミツバチ」は今年公開された。
 「ミツバチ」は以上の映像に加え原発の脅威を強く訴えている。電力事情取材のためスウェーデンを訪れ、「日本ではまだ原発建設の計画があるのか」と驚かれ、地域自立型のエネルギー供給事情を見学し、ほぼ独占状態の日本の電力事情を見直す必要を訴えている。 今回の震災発生直後山口県知事は中国電力に対し「上関原発」の見直しを要請した、29年に及ぶ反対運動には全く姿勢を崩さなかった当局の今回の即断である、結論は出ていないが気が付くには余りにも大きい代償である。「ミツバチ」は現時点で日本全国で公開の予定であったが、「都合により当分上映中止します」の貼り紙があり、上映されていない。

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