芭蕉堂店主ブログ 雖小居日録

食べること「スローフード」(3)

2011年 10月 3日 月曜日
BLOGカテゴリー: 食べること

食べること「スローフード」(3)

魚介類の登場である、貝は比較的食べ易い、二枚貝は生であれば開けるのに苦労するが、牡蠣を食卓で各自開けながら食べる情景は想像できない、事前に開いた状態で供せられる、殆どが熱を加えることで開き簡単に食することが出来る、巻貝は茹でたり、煮たりして食べるが楊枝を刺してくるっと回せばうまく取れる、慣れれば先の肝部分まで簡単に取れるようになる。ここで箸のことについて、起源は中国のどこかと思うが(殷の紂王は象牙の箸を使っていたとか?)現在使用している民族は中国、韓国、日本位であろうか、タイではソバとともに箸が入ってきたらしい、想像するに、魚食文化と箸の使用術の巧み化は関連しているのではないか、中国、韓国の箸はものを挟むというよりかき寄せることが多い、従って先はとんがっていない方が使いやすい、逆に細かいものを掴むには向いていず、日本人は旅行時に使いづらさを経験する。日本は動物性蛋白質を主に魚から摂ってきた、貴重な魚は完食が必要であり、それは煮たり、焼いたりすることで実現し、食べる側として高度な箸捌きが必要となった、箸と魚料理の相互のせめぎ合いが今日の魚食文化を生み出し、世界に誇る箸文化も完成した。そして昨今の洋食器の普及で家庭にて箸の使い方を徹底して教えることが出来なくなり、従って魚を上手に食べられなくなり、双方が衰退してゆく過程にあるのではないか。刺身や鮨は日本の専売特許ではなくなり世界中で食されている、切り身となった魚やそれを乗せた鮨を箸を使って危なっかしく摘む映像はよく見受けられる、日本でも刺身や切り身の煮魚、焼き魚は骨を除去した状態で多くの学校給食、老人ホーム、社員食堂、定食屋で食べられている、基本的に日本人は魚が好きである、ただ骨が付いていると食指が滞る、魚売り場でも刺身に比べてその余った部分の「アラ」は極端に安い値段で売られている。そこでこの骨付き魚を上手に食べることの勧めである。まず箸を上手に使いこなさなければ、フォークでは難しい、先ず焼き魚、大きな魚は骨に煩わされることなく簡単に食べられるが、骨近くの身が一番美味しく、丁寧に骨を退けながら身を取り出す、その時間の経過が食べたい意欲を体にもたらし、唾液も活発となり早食いの抑制となり体にとって都合がよい、口の中の骨を選り分ける作業がまた脳の活性化と注意力がボケ防止となってアンチエージングにも繋がってゆく、煮魚はもっと顕著であり、頭、鎌、尾と煮れば全てを骨と格闘しながら食することになる。良く言われる動く部分が一番美味い、昔の人はあらかた食べた後お湯をかけズズーっと飲み、骨だけの姿に猫は仕方なくそっぽを向いたとか。この食し方も60歳からでは間に合わない、若い時のスキルの習得の一つに加えたい。面倒この上ないグルメの最高品があるが、またに譲りたいそれは蟹である、特に毛蟹である。

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食べること「スローフード」(2)

2011年 8月 26日 金曜日
BLOGカテゴリー: 食べること

先代より言われてきた、「よく噛んで食べなさい」「お米は八十八と書くでしょ、88回噛んでから飲み込みなさい」確かに胃に負担がかからず、よく噛んで唾液を混ぜて食べるに越したことはない、だが現実にはそう沢山噛んではいられない。それでは食べることが難しい食品であればどうだろう、多くの人達はそれらを、食べにくいと敬遠し、「食べてやろう」との努力もせず、そんな食品に関わる程ゆっくりした時間はないと、安易な食品に向かってしまう。とても食べにくい食品の勧めである、食するにはそのものが好きでなければいけないし、日頃食べるために訓練しなければ、いきなり美味しく上手には食べることは出来ない、還暦過ぎて食べたいと思ってももう遅い、とても面倒で、食べることが可能な部分を多く残すことになってしまう。それは殻付きであり、骨付きであり、食用可能部分以外の捨てる部分の多い食品の勧めである。野菜系の殻付きは比較的やさしい、枝豆は皆、殻付きを食べるでしょう、蚕豆、落花生、中国産ではカボチャ、西瓜などの種、それぞれ中身だけのものも販売されているが、殻付きの方が美味いし、食べるときの不便さが唾液の増加を招き、手で剥く手間が指の先の活性化に繋がる、中国人の種を口の中でより分ける技術は真似出来ないが、舌、歯、顎の運動には十分寄与しており健康にとっても大事な作業である。肉はどうだろう、大きな動物は肉部分が多く、鯨や牛や豚は比較的食べ易い、スペアーリブの骨にしっかり付いた部分や、テールシチュウが少し面倒になってくる、ここでお勧めは「豚足」である、和食には登場しないが、中華、韓国、西洋料理にはよく出てくる、アイスバインは少し太股に近くなるし骨も少ないが高級料理である、豚足は中に細かい軟骨や骨があり、丁寧に全て除去してある高級料理は別として、手間のかかる作業を経て口の中に入る、焼いたり蒸しただけの韓国系であればより難しい作業となる。フォークや箸では食べられず手掴みで食べることになる。次は鶏肉、ナゲット主流となってしまい、鶏はこの食べ方しか知らないとか、唐揚げでも骨付きだとびっくりしてしまう子供も多い。「手羽先」がお勧めである、最近名古屋の名物として上京し食材に並ぶことが多くなったが、腿肉の先の部分に旨味が凝縮している、唐揚げや煮込みにして、うまく2本の骨を分離して食べる。その先部分「手羽先先」はもっと大変、先端の細かい骨も選別しなければならなくなる、全て取りきる事は不可能でどこで妥協するか、手先、舌、歯の運動成果を確認して終了する。日本では殆ど食べられることはないが、香港や中国、東南アジア他の国々では、足の先も食べる「もみじ」と呼ばれる部分で黄色い鱗状の模様が付いていて、その薄皮部分を引きはがすように食べる、とても安価なメニューとなっていて庶民のビールの肴になっている、日本での膨大な量の「鶏足」はどこに行っているのだろうか?(以下次号)

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食べること「スローフード」(1)

2011年 8月 8日 月曜日
BLOGカテゴリー: 食べること

食べ物「スローフード」(1)                                     「スローフード」の語源は当然「ファーストフード」への対抗として出てきた言葉であり、発祥は80年代半ばイタリア、ローマのスペイン広場に「マック」が開業したことで、危機感が生まれ、ピエモンテ州「ブラ」の町で「スローフード」運動が始まったとされている。96年には「守る」「教える」「支える」として伝統的な食材・酒などを守り、子供たち等に味の教育を進め、小さな食物生産者を支えることを提唱している。そして現在世界各地でそれぞれの主張を持ちながら活動が続けられている。一方「ファースト」の意味は当然早く食べることを前提としてはいるが、大部分がオーダー後いかに早くその料理を「差し出す」ことが出来るかの「早く」のことで、早く「食べる」ことより強いだろう。今回の話題は早く「差し出す」ことの逆ではなく、早く食べることが出来ない食品の勧めである。昨今の食品は子供にもお年寄りにも食べやすく懇切丁寧に作製されており、快適に食事をスムーズに取ることが出来る、栄養バランスも加味されており食品としては完ぺきの形をしている。それは学校給食にも介護施設の食事にも反映され、栄養を吸収するという食べることの最低限の要求は満たしている。しかしそれは養鶏場の餌、動物園の飼育同様、本来の生物の持っている本能からは離れており、食べる行為は生物にとって一番重要であり、人間にとっても最重要行為であり、人類発生以来1日の多くの時間をそのことに費やしてきた。しかしこの何万年かの間に人間の咀嚼能力はどの位退化してきたのであろうか、歯によって生肉を引き千切れる人は数少なくなっているだろう。何事も必要が能力を高めるわけで、逆に不必要となれば退化してゆくのが道理、この50年の食料に関する生産、供給、加工、調理の発展は人類生存を大いに助けたが、一方で、自然界の中で単独で生きて行く能力を衰退させてしまった。様々なレトルト、冷凍、インスタント食品が巷にあふれ、栄養的にはともかく飢える状況ではない、味や食感、作製時間、など至れり尽くせりで電子調理器、トースター点火時間など事細かに指定されそれなりの食事が簡単に出来る、また都合のよいことに全てが食べつくせる食材で出来ていて、パッケージ以外に不要物は生まれない。ここで問題なのは食べる事が出来る食物を廃棄することだが、以前にそのことには触れた。(映画「ありあまるごちそう」)一方この50年豊かさとスライドして食に関する追及は絶え間なく、街々のレストランは日に日に美味しくなりその発展は眼を見張るばかりの状況だし、その延長の家庭料理も各家庭において日々の研究を重ね、プロ顔負けのカレーを食す家庭も少なくない。そんな状況の中で如何にゆっくり、丁寧に食べるかの勧めである。(以下次号)

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食べること「牛玉ステーキ丼」

2011年 4月 15日 金曜日
BLOGカテゴリー: 食べること


食べること
「牛玉ステーキ丼」
「B級グルメ」ブームという、「B級」の先鞭をつけたのは1985「東京グルメ通信B級グルメの逆襲」(主婦と生活社)の刊行であったらしい。(ワイキペデイアより)私が最初に目にしたのは文春文庫ビジュアル版の「東京B級グルメスーパーガイド」1986を読んでからだろうか、好評だったらしく、その後そのシリーズは勝手に間口を広げ、韓国、台湾まで飛び16,7冊の発行となっている。当時仏料理はどこそこがうまい(荻昌弘)、普茶料理はあそこ(梶井基次郎)という具合に、縁のない人間の多い店紹介が主流だった。そこで登場したのが「五大丼(天、うな、カツ、親子、牛、)三大ライス(オム、カレー、ハヤシ)」の紹介でカツ丼はどこがうまい、カレーは、○×と店によって普段食べている味に違いがあることに気付きだした。何も地方の隠れた一品を探し出したのではなく、周囲の食べ物に興味を持ちだしたのである、一流とは言えず二流よりB級の方がダメージ少ないだろう位の発想と思う。それが今やどう変転したのか地方都市活性化の花形、観光客誘致の先兵として登場し全国大会も開催されグランプリは大々的に報道され当地では旅館の料理に加えられるという、その扱いはとても「B級」とは言えない発展ぶりである。長い間地元の人達が気安く愛していた食べ物が、突然全国展開になっても碌なことはなく、近所のラーメン屋に人が並び出したように、地元からは遠ざかり、便乗した多くがその神輿に乗ることでの質の低下は避けられない。その食べ物にとって、束の間の栄光を浴びるだろうが少数精鋭だから得る光の輝き、創作製品とは違う跋扈品が認知される事態ともなれば、悲劇であろう。
 ここで紹介の「牛玉ステーキ丼」は決してB級グルメではない、北海道十勝平野清水町で、昨年7月より提供している地産地消食べ物である。清水町はじゃがいもを中心とした農業も発展しているが人口1万人の中に牛は4万頭(肉牛道内2位)、鶏40万羽(道内3位)飼育している牧畜生産地であり、その特産を惜しみなく使った丼である。定義は地元の十勝若牛と鶏卵を使用し味噌味とし、従来の十勝名物の「豚丼」醤油味と競う方法を取っている。「ルール」が色々細かく規定され、ロース部分、サイコロ状、ふわふわ卵、道産米、そして器の形状まで提示している。料金は千円以内(よってどこも980-)である。現在9店舗で提供中だが、その中にはゴルフ場の食堂メニューにもありプレーとは無縁の方々も食べに来る。蕎麦専門店のサイドメニューにも入り(写真参照)蕎麦のサービスが加わったり、前記の条件の中でそれぞれの特徴を出してアピールしている。目立った観光地もなく中々訪れる機会は少ないが是非とも寄っていただきたい。ゆめゆめ、選手権など応募せず、首都圏某デパートに登場などないことを祈る。あくまでも地産地消で。

http://tokachi432.com/

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