中国骨董オークションの開催、高額での落札にびっくり。

芭蕉堂店主ブログ 雖小居日録

印章「中国オークション」

2011年 3月 4日 金曜日
BLOGカテゴリー: はんこ

はんこ「中国骨董オークション」
2月23日東京ドームホテルで「東京中央オークション」が開催された。今回2回目の開催となる、事前に豪華なカタログが配布されており、出品品目約750点をチェック出来る。前日の下見会は「天空の間」に所狭しとその出品の中国の書画、骨董が展示され、小さな品はガラスケースに収納され係員に要求すれば手にとって鑑定でき、掛け軸などの書画は全て真近に筆圧まで確認出来る。このオークション参加のために中国から約四百人が大挙来日し、ライトとルーペ片手に熱心に吟味し、会場は熱気にあふれた。

http://www.chuo-auction.co.jp/jp/

昨今、チャイナマネーの力は新聞紙上を賑わせているが、中国政府は不動産市場の投機に対し規制を掛け、その効果が徐々ではあるが効き始めている、だがその余剰資金は健在で、行き場のなくなった「元」は不安定な「元」を嫌って金をはじめ様々なモノに向かっている。日本のバブルではその資金は殆ど中国美術へは向かず、欧米の絵画を買い漁り顰蹙を買ったが、中国では西欧美術への関心の情報は不明だが、流れてくるのはワインブーム位で、もっぱら自国の美術品に向かっているようだ。しかし清末以降中華民国建国後百年近く、多くの文化遺産はその侵略、政変、戦乱、天災、内乱の中で雲散霧消していった。大国ゆえ分母の大きさは膨大で、残っているものも多いが、多くはこの数年間の骨董ブームで行き場所が確定しており、後は贋作の横行となってしまっている。台湾故宮博物館の所蔵に象徴されるように海外に散逸している美術品も限りなく、日本においても収奪したとは信じたくないが、日本人の中国文化に対する畏敬の念は現在の比ではなく、この百年あるいはそれ以前より多くの書画骨董が日本に流れてきた、しかし戦後の価値観は中国文化を対象としていず、戦災での消失を経ても、多くが埋もれているのが実情である。10年程前上海の骨董街の老舗を訪れると、店主から「日本にはまだ沢山残っているでしょう、買いますよ」との話、その時中国骨董に関しては、日本は売り手市場になったと実感した。現在大規模な形で実現し始めている。
オークション当日は大変な賑わいと熱気に包まれた。カタログには初値価格と予想落札範囲価格が表記されており、その初値からオークションが始まる、初値のまま買い手なくパス(出品者に戻される)されることもあるが殆どが予想を遥かに超える落札価格となる。会場は日本とは感じられず、ここは北京か、上海か、98%は中国人で占められており、担当者も日本語を一応使うが、中国語での呼びかけとなる、落札者は三桁の登録番号札を持っていて値を上げる毎に頭上にかざし、決して金持ちには見えないラフな姿の人達がどんどんセリ落としてゆく、中国内地からか電話での参加も盛んで、価格は想像を超える速度で上昇し、見学者か出品者である日本人は、只唖然、唖然でありどこにそんなお金があるのか驚くばかりである。例をあげれば、石涛(清初1630-1724画家)の「松渓幽居圖」の掛け軸が何と8960万円、会場がどよめき、拍手が起こった。王鐸(明末1592-1652書家)の書に3300百万円、「田黄」(写真参照、落札品とは別)と呼ばれる希少印材で大きさ100グラムから130グラムの品に2000万円から3300万円の値がついた。午前十時より始まったオークションは全く休憩なしに夜遅くまで続けられた。
夏頃に第3回目が予定されており規模も大きくなるという、しかし世界情勢や中国国内の動向に敏感に反応し波乱も予想され、参加者の規模とか落札価格は全く予想がつかないらしい。
「おじいさんがそう言えば、押し入れの奥に何だか古いものを大事にしていたな」是非もう一度チェックしてみて下さい。大変な「お宝」になるかもしれません。

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